ベツレヘムの星の下
タイトル未編集
 ずっと、お兄ちゃんが好きだった。
 でも、お兄ちゃんはこの世にいない。

 あの日から、恋なんてしないと思っていたのに。

 生まれて初めて、目を閉じてもいいと思えたひとがいた。
 生まれて初めて、背中に手をまわしたいと思えたひとがいた。

 お兄ちゃん、このひとを許していいですか?




 ベツレヘムの星の下





 『御木慎司』
 当時、その名前を知らなかった日本人はいなかったんじゃないだろうか。

 ルックスはちょっと軽めだけどかっこよくて
 インタビューさせたら誰よりもしっかり回答してて

 泳ぎ終わった後は、最愛の妹と抱き合う。

 そんなオリンピックメダリスト高校生の、突然の事故。

 日本中が、揺れた。


<1>
 まだ秋の初めだというのに、肌寒さというものを勇介は感じた。
 勇介はもう一度自身のネクタイを強めると、慎司から離れないで泣いている唯を見た。あの箱の中に慎司がいるのかと思うとまだ実感が沸かないなと、勇介は思った。
 慎司の最期に会いにきた弔問客ひとりひとりにお辞儀をする英司の頬にも、涙が落ちていた。普段はクールで人一倍感情を表に出さない英司の珍しい姿に、勇介は心が痛くなった。
「あいつら、大丈夫かな」
 勇介の後ろから、慎司と同じ制服を着た青年が声をかけてきた。勇介はその青年と向き合った。
「直登さん……お久しぶりです」
「一年前、キャンプで会ったとき以来か。一年で随分大人っぽくなったな」
「あのときは小学生でしたから…」
 勇介が『直登』と呼ぶその青年は、慎司の親友で、小学生のときからずっと同じ学校同じクラスだった。ここまでくれば運命だと言って、ふたりは同じ高校を受験した。
 昨年、慎司の弟の英司と妹の唯、慎司の後輩で英司の親友の勇介を連れて、慎司と直登でキャンプに行った。勇介はそのとき慎司に直登を紹介された。
 直登は慎司ほど目立つ顔立ちや雰囲気はないものの、身長もスラリと高く顔も整っていて、容姿は悪くなかった。何より、あの慎司と長い間連れ添っていただけあって、賢く博識だった。どんな話をしても面白くて、キャンプのとき、さすが慎司さんの親友だと思った。
 あのキャンプ以来会っていないのに覚えていてもらえたことが驚きで、勇介は嬉しかった。
 直登と久しぶりの再会を果たしあたりさわりのない会話をしていると、直登の後ろに立っていた女の子が、直登の袖を掴んだ。
「お兄ちゃん…」
「ああ、悪い。―――勇介、こいつは俺の妹で、浅海って言うんだ。お前と同じ中学だからもしかしたら顔くらいは知ってるかもしれないけど。こっちは勇介、慎司の弟の英司と仲がいいんだ」
「えっと……坂本、坂本浅海、だよな?隣のクラスの…」
直登に紹介されたその女の子は、俺と同じ制服を着てニコリともせず首だけ傾けた。無表情で何かに怒っているような顔が印象的だった。
「悪いな、人見知りなんだ。普段も愛想がいいとは言えないけど、ここまで酷くないから」
「あ、いや……気にしないで下さい。俺は浅川勇介。宜しく、坂本」
「………」
 勇介の笑顔を無視し、直登の妹―――浅海は、直登の背中に隠れた。それを見て直登は大きな息を吐くと、申し訳なさそうに勇介に視線を向けた。
「慎司がうちに遊びにきたとき、浅海も一緒だったことがあったからさ。お葬式に来たいって言い出したのはこいつなんだ。結構慎司には懐いてたから、今日は勘弁してやって。もし学校で会ってもこの態度なら殴っていいから」
「大丈夫ですよ。元々、明るい雰囲気でいられる場所じゃないでしょ。直登さんこそ大丈夫ですか?慎司さんと相当仲、良かったじゃないですか」
「まぁあいつは水泳では天才だったけど、悪いこととか女とかはさ、その辺の高校生と変わらないやつだったからな。そういうバカなことはよく一緒にしたかな」
「そういうのを『親友』って言うんですよ」
 直登は目を見開いて驚き、そのままゆっくりと笑顔になった。
「………まさかお前に心配される日がくるとは」
「だって直登さん、目、腫れてますよ。相当泣いたんじゃないかなって」
「普通には悲しいさ。長い時間一緒だった分は、な。でも…」
 直登は目を細め悲しげな表情をした。
「それなら、あいつらの方の心配してやんねぇと」
 直登が指した先は、英司と唯だった。
 報道陣のカメラのフラッシュは、英司と唯に向けられていた。
「こんな美味しい悲劇はないもんな。つい最近オリンピックでメダルを取った高校生が、バイク事故で死亡。只でさえ、あの容姿なのに家族思いってのがメディアに受けてたから、残された唯ちゃんや英司は世間に晒されちまうな」
「止められないんですか?」
「いや、そろそろ止められるよ。慎司の親父さん、競泳界のお偉いさんだろ。もう少し落ち着いたら、協会あげて止めにくるよ。芸能人じゃないんだ、唯ちゃんも英司も一般人だからな。裁判でも起こされたら一発で向こうの負け」
「でもそれじゃあ…」
「傷は癒えないだろうな。家族思いは演出じゃなくて、本当に家族は大事にしてたから、あいつ」
「英司のあんなとこ、初めて見ました」
「慎司はな、ちょっと偉大すぎたよな」
 勇介は、何も言えなかった。
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