ベツレヘムの星の下
2
 『御木英司』
 天才御木慎司の弟で、その才能は兄をも超えると言われた男。

 無口で口数は少ないが、肝心な所では優しいやつで
 愛犬の散歩は一日だって欠かしたことがない。

 兄、慎司の死後、期待は全て英司に降りかかったが
 英司はあっさりと水泳を辞めた。

 その理由は誰にも語らず、そして今も、教えてはくれない。


<2>
 勇介はチャイムと同時に前の席に座る英司の背を、トントンと2回叩いた。
「なぁ、テストどうだった?学年首席くん」
「ぼちぼちじゃねぇの」
「直登さんがここの卒業生で良かったな。問題、4年前と変わんねぇじゃんな」
「世の中そういうシステムなってんだよ、賢いやつが得をするってね」
 その言葉だけを残し、英司は席を立った。勇介が『帰ンの?』と訊くと、手だけヒラヒラと振り『バイバイ』の合図だけ送られた。
 そんなふたりのやりとりを見て、クラスメートの男子数名が勇介に声をかけてきた。
「浅川、御木と仲いいの?」
「ええと…堀…ごめん、なんだっけ?」
「おう、俺が堀内で、こっちが牧瀬」
「宜しくー。で、何?英司がどーかした?」
「いや、席替えする前さ、つまり入学式ね。俺たち出席番号近かったから、御木に話かけたんだけどさ、あいつニコリともしないで『ああどうも』しか言わないんだよ。人見知りなのかなって思ったけど、兄貴に言ったら、あの御木慎司の弟だって言うじゃんか。そしたら絶対人見知りとかないと思って、なんか俺、あいつ怒らせたかなって…」
「しかもあいつ、喧嘩強ぇらしいじゃん。うちみたいな進学校にくるようなやつじゃないって、同じ中学のやつも言ってたし。あいつ、窓とか割るんだろ?」
「あー…はいはい」
 勇介は天井に視線を浮かした。
 要は、入学して数日だというのに、英司はもうこの学年で『敵にしたくないやつNO1』になってしまったのだ。中学の頃から英司を知っている人間は、確かにそう噂するかもしれない。
 英司は慎司に似て整った顔立ちに、色素の薄いフワフワのくせっ毛で、特に染めていなくても派手な茶色の頭をしていた。太陽の日にも負けてしまうその髪は、夏は更に明るい金髪に近い色になる。しかも制服は慎司のお下がりなので、入学早々から、適度に崩れていた。ピアスの穴も数箇所空いているし、見た目は『進学校に通う優等生』とは程遠かった。そして何より、喧嘩が強かった。
 水泳を辞めてからの英司は、ストレスの発散方法を探していた。時には窓を割ったこともあったし、英司によって机や椅子はいくつ破壊されたかわからない。元々慎司が派手だったので目立たなかったが、英司の方が負けん気が強くここぞというときの集中力は半端なかった。
 ただでさえ尊敬し自分のたったひとりの理解者だった慎司が亡くなり、英司は荒れていた。でもそんな英司を止めることは難しく、英司は当時、目の前のもの全てに当り散らした。
 慎司が亡くなったことで更に殻に閉じ困ってしまった英司は、同学年の人間とはつるまず、直登たちと一緒の時間を過ごすことが多かった。そしてその直登は、頭がいいのにその辺の柄の悪いやつらと親交が深かったので、よく喧嘩に巻き込まれていた。勇介も時々その場に居合わせたことがあったが、多分その倍以上の数の喧嘩に、英司も参加していた。どんどん場数を踏んで強くなる親友を見て、勇介は驚くと同時に、純粋に凄いと思った。
 でもそれは英司が勇介の親友で、絶対に暴力を働かないとわかっているからだ。
 外部から入学してきたこのクラスメートたちにしてみれば、いつ自分たちがその暴力の対象になるかわからない。
 そして、その話題の人物、英司と仲良く話していた勇介に、本当のところを訊いてきた、というところだろう。
「確かに荒れてた時期はあったけど、もう落ち着いたよ。わけもなく殴ったりしないから。基本的に無口で怒ってるみたいだけど、そんなこともないから。また気が向いたら話しかけてやってよ。あいつ、本当はすげぇいいやつだから」
 親友としてはこういう回答をするしかない勇介だったが、ひとつだけ、思うことがあった。
 確かに英司は優しくていいやつだということは変わらないのだが、最近、また一段と多くを語らなくなっていた。勇介は、自分にも壁のようなものをつくっているような気がして、ずっとそれが気になっていたのだ。
 そのとき、廊下から顔を出しきょろきょろ教室を見渡している女の子を見つけた。勇介はその場を逃れる為、その子の名前―――浅海を呼んだ。
「じゃあ俺帰るわ!また明日な!」
 それだけを残し、勇介は浅海の所へ走った。
 堀内と牧瀬から『おう、サンキュー』『またな』という声が聞こえたので、勇介は英司を真似して手を振ってそれに応えた。
「浅海、英司探してンだろ?ちょっと前に教室出てったぜ」
 浅海は表情も変えず勇介を無視し、素通りした。勇介はその後を追いかけた。
「待てよ。途中まで一緒に帰ろうぜ」
「いいの、そんなことして。お姫様に誤解されるわよ」
「ああ、唯?唯は今日風邪で休み。絶対来るなってメール来たから、今日はそのままスクール行くよ。多分、風邪で酷い顔になってるとこ見られたくないんだろ。それにさ、俺、ちょっと英司に話あったし。直登さんに会いにお前ン家いるかもしれないだろ?なんかあいつ、急いでたっぽいし。あ、それともなんか約束してた?」
「………してないわよ」
 浅海はムッとした顔で勇介を睨んだ。が、勇介は慣れているので気にしない。
「あいつさ、最近機嫌悪くねぇ?なんか聞いてない?」
「さぁ、聞いてないけど」
「絶対変だよ。荒れてた時期も俺には優しかったのにさー。なんかトゲがあるっていうか…」
「それはアンタにだけでしょ」
「え、なんで?なんか言ってた?」
「………英司の大事な妹、とったからよ」
「え、唯?」
 浅海は更に不機嫌な顔で、少し強い口調で言い放った。
「今日だってあの子が風邪だから急いで帰ったんでしょ」
「え、そうなの?」
「知らないけど、多分そうでしょ。だってずっと上の空だった、今日」
 勇介は思い当たることがあり『ああ』と頷いた。
「そういえば今日、ずっと携帯気にしてたな、あいつ…」
「昔からあの子のことにだけは血相変えたり顔色変わったり……知ってるでしょ、小学生の頃からの付き合いなんだから」
「それはそうだったけど…なんで今更俺に冷たいんだよ。俺と唯、付き合いだしたの去年の夏だぜ?
しかもあいつ応援してくれてたし…」
「………知らないわよ、本人に聞いて」
 そう言い放ち、浅海は早足で校門を出て行った。残された勇介は一先ず自転車を取りに駐輪所の方へ向かった。
 慎司が亡くなってからもうすぐ3年。今まで唯を特別意識したことがなかった勇介だが、葬儀の日、勇介の言葉で笑顔を見せた唯のことを、勇介は次第に気になり始めた。
 慎司の代わりに自分が守ってやらないと、という使命感がいつしか恋愛感情になり、中学3年の夏、ふたりは付き合うことになった。
 しかしそれよりずっと前から、英司と浅海は交際を始めていた。直登の家に遊びにきた浅海に英司が声をかけたことがきっかけだったが、浅海は慎司の葬儀のときから英司のことが気になっていた。英司にしてみれば面倒を見てもらっている先輩の妹に挨拶をした程度だったのだが、普段人見知りで他人と関わろうとしない浅海が、初めて自分から「今度ふたりで出かけよう」と言えたのは、英司だけだった。
 英司も英司で、当時有名だった兄が亡くなり、周囲の耳障りな言葉に精神的にも疲れていたので、自分に好意を持って積極的に話しかけてくる浅海の存在は救いだった。
 浅海は今こそ厚い化粧と派手は頭と格好をしているが、直登の妹だけあってキレイな顔立ちで勘もよく空気も読めた。英司の苛立ちを止めることはできなかったが、英司が傍に置いても不快ないと浅海は判断され、浅海の告白を英司は受け入れた。
 元々無口なふたりは特に喧嘩やハプニングなどないまま時を重ね、中学1年の秋から今日まで、別れることなく交際を育んでいた。
「まぁ、ね。唯は御木家のアイドルだからね…」
 勇介はポツンと独り言を零すと、自転車にまたがった。
 慎司が猫可愛がりしていたせいで慎司と唯の仲の良さの方が目立ったが、実は英司も相当唯を可愛がっていた。同じ年の妹というのは微妙な関係だったと、英司は幼少時代の唯との接し方を語ったことがあったが、それでも、負けん気は強いくせに泣き虫な妹は可愛かったらしく、普段表情を出さない英司も唯にだけは笑顔を見せていた。ご近所でも「本当に微笑ましい」と評判で、それは今も尚続いていた。
 英司は慎司さん並のシスコンだもんなぁと、勇介も思い当たる節を数えた。
「それにしても…」
 勇介は青空を眺めた。
 皮肉にも、慎司さんが亡くなった日もこんな天気のいい日だったと、勇介は思った。
「もう3年経つのか…」
 勇介の独り言は誰の耳にも届くことないまま、勇介は足を動かし始めた。
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