もう泣いてもいいよね
「皆美」

「はい」

「物語はほとんど完成したそうだね」

綾女様がにこっと微笑んで言った。

「はい」

私も、笑顔で答えた。

「じゃあ、あとはすることがないのかい?」

「まあ、原稿見直して、それくらいですね」

「他にはしたいことはないのかい?」

綾女様は優しい言い方で聞いてきた。

少し考えたけど、思い当たらなかった。

「はい」

「そうか」

綾女様は一旦、お茶を口にした。

両手で持つその姿はまるで茶の湯のそれだ。

そして、私を真っ直ぐ見ると言った。

「じゃあ、あとはタケルのそばにいてあげなさい」

「はい、そうします」

私はちょっと食卓から下がって頭を下げた。

「あらあら、私としたことが。さあさ、お食べなさいな」

綾女様がちょっと失敗したというような表情で言った。

「はい」

私はまた箸を持った。



「ごちそうさまでした」

私とタケルは6畳はあるかと思われる格式のある玄関先で頭を下げた。


「皆美ちゃん美味しかった?」

「ええ。こんな手作りの食事は本当に久しぶり。東京じゃなかったから」

「そう、良かったわ」

楓おばちゃんが少し哀しみを含んだような笑顔で言った。


「タケル君も美味しかった?」

「うん。本当には食べられないけど、ちゃんと自分では『食べた』よ。本当に美味しかった」

「そう…良かったわ」

楓おばちゃんがとうとう少し涙を浮かべてしまった。

「母さん!」

後ろから、綾女様と部屋で話をしていた香澄が、遅れて出てきた。

「タケルでさえ泣いてないんだから、母さんが泣かないでよ」

「ごめんね…」

「おばちゃん、本当にありがとうございました。おれ、こうなったこと、後悔してないですから」

タケルが頭を下げて力強く言った。

「ほんと、次の巫女なのに、これじゃ、まだまだね」

楓おばちゃんは涙をそっと指先でぬぐって、きりっとした表情を作った。


「そうだね。まだまだ私も長生きしそうなんで、それまでに修行しておくれね」

綾女様が奥から出てきた。

「あ、母さん、すみません」

楓おばちゃんはすっと避けて、軽く頭を下げた。


「タケル、皆美、そして香澄」

「はい」

私たちは返事をして綾女様の前に並んだ。

「3人とも、悔いの無いようにね」

「はい」

私たちは頭を下げて森川家を後にした。
 
< 106 / 116 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop