君の未来に、僕はいない
その後

もう限界だ、息ができない。
中学を卒業したその瞬間、俺は東京から逃げることを決めた。


「突発性難聴ですね。なにか、過度のストレスがかかるようなことに、覚えはありますか」
ひげ面の医師が、疑いをかけるような目で母親に問いかけた。
母は小首を傾げて、「ストレスですか」、と全く身に覚えがないというように、呟いた。
俺は、虚空を見つめながら、漠然とした不安を抱いた。

自分の人生から、ピアノがなくなる。
ピアノを弾けなくなったら、萌音は俺を嫌いになるだろうか。
つまらない人間だって、思うだろうか。

医者が今後の治療の方向性を話していたような気がするけれど、ちっとも耳に入らなかった。


あの日の診断から丸三年が経ち、俺は東京の中学校に通っていた。
萌音と離れることはとても辛かった。でも、母は中学校の間だけだから、今はこっちで治療に専念しましょうと言っていた。俺は素直にその言葉を信じた。
そして、地獄のような……というより、全く持って「無」な三年間の学生生活を終え、俺は卒業証書を握りしめてすぐに帰宅した。
地元に帰れる。萌音に会える。高校も、地元の高校を受験し終えて受かっていた。俺はあの田舎の景色を思い浮かべながら足早に家を目指した。

「あら、お帰り。そうそう、手続きちゃんと終わったからね」
喜々として帰った俺に、母は都内の私立高校のパンフレットを見せつけた。
何が起きているのか分からず驚き固まっている俺に、母は恐ろしい言葉を浴びせた。

「滑り止めで受けていた都内の私立高校にしたから、地元の高校はお断りしといたわ。晴の活動もあるし、パパとも相談してこのままこっちに残ることにしたの」

……そうだった。この親はそういう女だった。
怒りを通り越したどころか、目の前のこの人間に対して、何も言う価値はないと判断した。
母は、周りには、美しくて賢いと評判……だと自惚れているただの哀れな女性だった。
実際に、自慢話が大好きな母を避けている保護者は多く、唯一会話をしてくれるのが、萌音の母親だった。
そのことにつけあがり、母は萌音の母に自慢するどころか、萌音自身まで侮辱したりした。

……殴りたかった。そう思うことがなん度あったことか。

でももう、俺はこの人に対して何か怒りを抱くことすらできなくなってしまった。
どうだっていい。もう関わりたくない。
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