君があの子に、好きと言えるその日まで。完
「そろそろ部活行くか、ここで着替えちゃおうぜ。部室汗臭ぇし混むし」

俺の提案に一之瀬も軽く頷くと、廊下にも教室にも女子がいないことを確認した。

男子だけの教室で、俺もおもむろにシャツのボタンを外し、黒の練習着に着替える。

……そういえば、翠が、先週部活動に復帰したと聞いた。

翠は、大好きな絵を一年間も描けなくなるほどショックを受けていたというのに、俺はそんなときも馬鹿みたいにグラウンドを走っていた。

体を動かしていないと、脳が余計に働いて、考えたくないことを考え出してしまうから。

まるで、罪悪感を振り切るように、現実から逃げるように、感情を失くしてがむしゃらに走っている。……今も。


「翔太、お前最近気合い入りすぎじゃねぇ? ただでさえきつい練習メニュー、二倍の量やってたら、体ぶっ壊れるぞ」

「大丈夫だっつーの、母ちゃんみたいな心配すんな」

「大事な試合のときに体壊されたら、チームも迷惑かかるんだからな。そこんとこ理解しとけよ」


一之瀬の言葉はごもっともだった。

だけど俺は、その言葉を素直に受け取ることができなかった。

正論だからこそ、言われなくてもわかっていることだからこそ、反発したくなる。

明らかにムッとしている俺を見て、一之瀬は何か言いたげな表情をしたが、すっと目をそらした。


「先行ってんぞ、頭少し冷やしてからこいよ。大切なこと、忘れてるっぽいし」


そう言って、一之瀬は教室から出て行った。

俺は、やるせない気持ちでグラウンドを見つめながら、今頃部室で絵を描いているであろう、翠のことを思った。

この一年間は、翠にとってどんなに辛い一年間だったんだろう。

家族を失ったことのない俺には、想像もつかない。


……気づくと、教室にはもう誰もいなかった。俺はあたりを見回して、何か忘れているような、そんな感覚に陥った。

教室に張られているのは、五月に開かれる体育祭のポスター。たしか、クラスメイトの望月が描いたって聞いた。

なんとなく視界に入ったそれで、何を忘れていたのか思い出した。


「やべ、委員会っ……」


自分でやるって言ったくせに忘れるなんて、ありえない。

今日は体育祭実行委員の集まりがあることを、俺はすっかり忘れていた。
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