線香花火の小さな恋
小さなきっかけ

第一話 小さなきっかけ

「あ…あのっ!」

しとしとと、雨の降る六月

傘をさして家路についていた私は後ろから声をかけられた

「…私?」

ふと振り返ると、見たことのある制服姿の男の子が立っていた

あの制服…隣町の海西(かいせい)高校かな

この町の柊南(ひいらぎみなみ)高校に通う私は電車通なのでその制服はよく、見かけていた

「あの、これ…落としましたよ」

そう言って男の子は手に持っていたものを私に差し出す

「…っ、…!…あぁ」

その手には、小さなクマのキーホルダーがあった

「これ、リュックにいつも付けていたクマ、ですよね?」

「…なんで知ってるの」

「…っ、!
あ、えっと、その…別にやましい事じゃなくて!」

男の子は顔を真っ赤にして慌てて弁解をする

「…俺、星川紫紀って言います
隣町の海西高校二年生。

君と毎朝同じ時間の電車に乗ってるから、よく見かけてて」

ああ、そういう事…

「…雨の日とか、この子が濡れないように小さいビニールに入れてたりしたの見た事あって。

優しいんだなって、思ってました」

この人、そんな所まで見てたの?!

半ば驚きつつ…彼の手に持っていたクマを受け取る

「…うん、ありがとう」

引き攣る笑顔でそれを持った彼女

男の子はホッとした笑みを浮かべ、安堵の息をつく

しかし

次の瞬間、目を疑う光景が彼の目に飛び込んだ


「え?!」


受け取った彼女はそのまま足を進め、すぐ横にあった公園のゴミ箱へとそれを捨ててしまった

「ど、どうして…」

呆然と立ち尽くす彼に、彼女はゆっくりと振り返る



「…それ、もういらないものだから」



儚げなその声は、雨音にかき消されそうなほど小さかった

「…ごめんね」

雨音に紛れたその声は、ゴミ箱に捨てられたクマに向けられたものだった

「…」

公園から出てくると、彼女は彼を一度振り返り…無言で家路に戻って去ってしまった


「…っ、」

彼女の姿が完全に見えなくなった頃、彼はさしていたビニール傘をその場に投げ捨て、公園の中へと駆けた

「…!!」

空き缶などに紛れて雨に濡れてしまった彼女のクマ

桜色だったその色は、雨に濡れてよりピンクがはっきりとしていた

「あんなに大事にしてたのに、なんで…」

彼はしばらくその場に立ち尽くした




「ちょっと紫紀!どうしたのそんなびしょ濡れで!」

家に帰った彼は出迎えた母親からバスタオルを被せられる

「…色々あって」

いつもと様子の違う息子に、母はそれ以上何も言わなかった

「まあとりあえず、お風呂入ってきなさいな
そのままだと風邪引いちゃうわよ」

そう言って、キッチンへと戻った


「…ふう」

湯船に浸かった彼はタオルで目元を覆う

「あの子、何であんな事したんだろ…」

あんなに大事にしていたのに…


毎朝、六時四十分

三両ある電車のうち、三両目に乗るあの子

先に乗っているあの子は紫紀よりも先に降りるため、二駅しか被らない

それでもいつも、何故か目で追っていた

雨の日はリュックにつけているクマに小さなビニール袋をかけて

夏は海にでも行ったのか、小さな貝殻をチェーンに通してクマのネックレスに見立てていたり

四つ葉のクローバーがついている事もあったっけ…

「あんな大事にしていたもの、そう簡単に捨てられるか…?」

もやもやしたまま、彼は風呂を出た


「あ、お兄ちゃん!おかえり!」

「兄ちゃん!今日雨降るって言ったのに、何でびしょびしょで帰ってきたのー?!」

リビングに行くと、妹の向日葵と弟の玲於が飛びついてきた

「いや~風強かったから、傘どっか飛んで行っちゃったんだよね!」

たはは…と笑い飛ばす彼

妹や弟は仕方ないな~と食事の席につく

彼は星川紫紀(ほしかわ しき)、高校二年生。
隣町の海西高校に通う男子高校生
現在は水泳部として活動しており、その明るさはムードメーカーの役割を果たしていた

妹の向日葵(ひまわり)は小学四年生。
活発な行動力で運動神経は抜群
兄の紫紀の影響で、最近スイミングへと通い始めた

弟の玲於(れお)は小学三年生。
少し引っ込み思案であるが家族には容赦なく、読書が大好きな物知りである

「あ、紫紀!」

母親である夏菜子(かなこ)が紫紀を手招く

「なに?」

「あんたの制服のポケットに入ってたんだけど…ちょっと汚れてたからこれ、綺麗にしといた!」

夏菜子がエプロンのポケットから取り出したのは…



「…!!」



彼女が捨てた、あのクマのキーホルダーだった

「…あ、ありがと!」

照れくささもあり、咄嗟にポケットにそれを突っ込む紫紀

「…紫紀、」

そそくさと立ち去ろうとする息子に静かに声をかける

「後悔だけは、しちゃだめよ」

優しく笑いかけた夏菜子は何かを察したのだろう

紫紀も静かに頷き、向日葵や玲於が座る方へと戻った


「…つってもなぁ……」

夕食を終えて部屋へと戻った紫紀

ベッドに寝転んだ彼はあのクマのキーホルダーを目の前に持ってくる

「…お前、あの子の宝物みたいに扱われてたのにな」

あんな最後、あんまりだ

人形とかキーホルダーとか…そういうのに疎い俺が言うのもなんだけどさ、

ちょっとあんまりじゃないか?!

「…男もああやって、捨てられるのかな」

あの子の価値観なんて、俺には分からない

毎朝同じ電車に乗る人なんていくらでもいる

その人たちを一人一人考えるなんて、出来るはずがない

「…寝よ」

枕元にそれを置き、紫紀は眠りについた




「…あら、遅かったじゃない」

彼女が家に帰宅すると、二十歳の姉・美香(みか)が丁度出ようとした所に鉢合わせた

「…お姉ちゃん、どこか行くの」

「これからコンパよ~今月三回目!
どうよ、あんたも行く?」

「…行かない」

「わーかってるって!ちょっと言ってみただけよ

それじゃ、後よろしくね」

そう言って美香に家の鍵を渡され…

姉は悠々とマンションに備え付けのエレベーターへと乗り込んだ

「…ビッチめ」

姉が去った方を睨みつけ、一息ついて家の鍵を開けた

「…ただいま」

「唯乃!!」

帰った早々怒鳴り声が響き、ビクッと身体を強ばらせる

「お前は今までどこをほっつき歩いていたんだ?!もう八時だぞ!!

これだから全く…」

父親が仁王立ちで玄関に立ち塞がり、しばらく説教に付き合わなければ部屋に戻れそうもない

「…だる」

「何?今なにか言ったか?」

「何も」

「親に向かってだるいとはなんだ!」

「…聞こえてんじゃん」

唯乃がそう呟いた直後、左頬に強い痛みが走った

「…っ、!!」

「全く、俺の顔に泥を塗るようなことをするんじゃない

このバカ娘が!!!!」

バン!!と自室へと戻った父親

殴られた左頬の痛みはなかなか消えず、キッチンへと向かった彼女は冷蔵庫から保冷剤を取り出す

「…早くこんな家、出て行ってやる」

痛みを隠すように、頬に保冷剤を当てた



「…」

俯く彼女の口からひとりでに、言葉が漏れる

「お姉ちゃんは怒られないのに、なんで私だけ…」

昔から何故か、姉である美香だけ怒られない

それどころか、とても可愛がられ…

怒られたところを見たことがないほどだった


「…私、この家の子じゃないのかな」

いつもの癖で、リュックにあったものを掴もうとする

「…っあ……」

しかし彼女の手は空を切り、掴めない

「そっか…あの子も、いないんだ」

辛い時、いつも握りしめていたあのクマのキーホルダー

リュックから落ちた時、あの子も自分から離れてしまったように感じて…

咄嗟に、捨ててしまった

「明日、まだあるかな…」

目に涙を浮かべながら、何もついていないリュックを抱きしめた
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