gift

「湊さん、待っててくれたんです。俺が戻るのを確認してから指しました。だから俺は間に合って対局には勝ちましたけど、あの時、俺が席を立ってすぐに、何でもいいから湊さんが指していれば、俺は間に合わなくて負けていた」

三段リーグにおける一勝は重い。
もしかしたら、プロのどの将棋よりも。
一局一局が、人生を左右するものなのだ。

「恐らく、奨励会員の少なくとも半分はすぐに指します。それなのに俺を待ったんです。手を考えて時間を使ったんじゃなくて、待った。湊さんの残り時間だって多くなかったのに」

「湊くんらしいです」

声に知らず愛しさがこもった。
時間切れを狙うことは反則ではないけれど、それも作戦のうちと割り切れる人ではない。
割り切れないのならやるべきではない。
もしそれでプロになっても、そのことをずっと気に病む人だと思う。

私の気持ちを感じ取ったのか、少し笑って有坂さんもうなずいた。
けれどすぐに表情を引き締める。

「正攻法で勝つのは格好いいですよね。でも正攻法を貫けるのは強い者だけです。まずは結果。勝たなければ意味はありません」

「俺なら指した」

折笠さんが断言する。
有坂さんも、

「俺は時間攻めはしないけど、少なくとも待つことはしません。終盤の一分は、千金以上に価値がありますから」

と答えた。
折笠さんが苦々しく顔を歪める。

「奨励会員は幼くても大人と対等に扱われますから、かつては酒やタバコ、悪い遊びなんかに溺れて身を滅ぼす人もいました。心を病む人も多い。だけど湊がプロになれなかったのはそんなことじゃない。湊にもう少し才能があったら、そうでないならもう少し図太く生きられる神経を持っていたら、プロになれたんだ」

湊くんが生きたいように生きるには、giftが足りなかった。
例え人として賞賛されるようなことであっても、賞賛で生活はしていけない。
実際、湊くんの選択は、勝ちを逃した愚かなものだと思われている。

「でも、私はそこで待っちゃう湊くんがいいです」

湊くんは湊くんのままで夢を叶えてほしい。
そうじゃなきゃ、私には意味がない。

「結果が悪かったから批判されるんでしょう? だったら、どんな形でも実力を示してプロになればいいんですよね? 大事なのは、結果なんだから」

私の挑戦的な物言いに対して、有坂さんは笑顔を見せた。

「もちろんその通りです」

有坂さんの声はやさしくも鋭くもあった。
同じ棋士であっても勝負の世界にいる限り、ただの仲間にはなり得ないのかもしれない。

画面の中で湊くんの手が伸びた。

「あ、そっち?」

解説の人が驚いた声を出す。
湊くんがミスをしたのかと、胸を押さえて有坂さんを見るとニヤニヤ笑っている。
折笠さんも納得したようにうなずいて説明してくれた。

「桂取りです。相手の攻め筋を潰しつつ、自分の攻め駒を増やしたんです。妙手だな」

「桂馬は駒台の上が一番利いてるって言いますからね。相手にしてみれば、持たれるといやだと思いますよ」

どうやら解説の人と意見は違ったものの、いい手だったらしい。

「あー、なるほど! 私は全然違う手を考えてました」

解説の人が冗談っぽく笑って、会場にも笑い声が響く。
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