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なぜ湊くんが、始球式などという晴れの舞台に引っ張り出されたのかというと、それはまったく本人の意志でも、功績でもない。
偶然と好意が呼んだ災難だった。

「あやめ……どうしよう」

あるのどかな昼下がり、自室からリビングに出てきた湊くんは、震える手でスマホを持っていた。
誰か事故にでも遭ったのか、お義父さんやお義母さんに何かあったのか。
私はだいぶ大きくなったお腹に手をやって、ひとつ深呼吸した。

「なにがあったの?」

湊くんの表情は、どんどん悲壮感を増していく。
私は衝撃に耐えるため、奥歯を噛み締めた。

「俺、始球式やることになるかも」

かんたんに表情を変えられず、強張った顔のまま私は首をかしげた。

「シキューシキ?」

「野球の試合前に、マウンドからボールを投げるセレモニーのこと」

「ああ、あの芸能ニュースとかでやるやつね! え、なんで? あれって俳優さんとかアイドルがやるんじゃないの?」

「わかんないよ! なんで俺なんだ……」

将棋で活躍したいとは思っても、できる限り目立ちたくはない。
そんな湊くんは、ラグの上にがっくりと膝をついた。
奨励会を退会したときも、こんな感じだったのでは? と思わせる絶望ぶり。

「それって、どういうお仕事なの?」

「子ども将棋大会を開催してる企業が、野球の試合の冠協賛もしてて、合同でイベントやるんだ。その一環」

「湊くん、その企業と付き合いあるの?」

「いや全然。……やっぱり断ろう」

連盟に電話しようとしたその手から、私はスマホを奪った。

「待って待って! 湊くんって、野球好きだよね?」

将棋ばかりかと思っていたけど、湊くんは普通の男子らしくスポーツ観戦が好きだった。
三段時代から編入試験に受かるまで、なかなか時間を取れなかったけれど、プロになってからは棋士仲間と球場にも行っている。
私も野球のルールさえよくわからないまま、湊くんとデートがてら何度か観戦した。

「好きだけど、野球部でもなかったし」

左利きの場合、内野を守るのは不利なため、ピッチャーや外野をやることが多いのだけど、肩が強くなかった湊くんは野球そのものを諦めたらしい。

「でもさ、こんなチャンス二度とないよ! 湊くんなんて、三百回生まれ変わったって野球選手にはなれないんだから、やった方がいいよ!」

「えーーー」

プロ編入なんていうド派手なデビューをしたくせに、湊くんは尚もしり込みしている。
しばらく悩んだ末に結局、

「ダメだ。やっぱり断る」

と、私の手からスマホを取り返した。

「もったいないなぁ。せっかくのチャンスなのに」

「だからだよ。せっかくの始球式なんだから、同じ棋士でも、もっと野球好きな大下先生とか、水野先生がやった方がいい。━━━━あ、もしもし、湊です」
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