HARUKA~愛~
その日から私はお母さんの所ではなく、玄希くんの病室に通うようになった。

毎日3時半過ぎに急いで病院までの道のりをダッシュし、売店でチョコやアイスを2人分買った。

私が行くと玄希くんはいつも「おかえりぃ」と言って迎え入れてくれた。

私が近づくと、決まっていかにも難しそうな分厚い本を読む手を止め、私に笑いかける。

この頃から彼は笑顔を絶やしていなかった。

それには複雑な事情があったのだけれど…。


「その本、何?」


私は気になって通い始めて5日目くらいに遂に尋ねた。

玄希くんは本を開いて私に見せてくれた。


「僕がお医者さんになりたいって言ったら、こんな分厚い人体の本をお父さんが買ってくれたんだ」

「へえ~。すごいね。分からない漢字ばっかり」

「僕もほとんど分からないから、絵だけとりあえず見てるんだ。あと、お医者さんになる為には6年間大学に行って論文っていうのを読んだり、書いたりするんだって。それには英語も使うから、僕、そうとうがんばんなきゃ」

「そんなに勉強してまでお医者さんになりたいんだ…」

「お父さんも昔、お医者さんになりたかったんだって。でも、お父さん、人体よりも宇宙に興味持っちゃって、今はね、アメリカの天文台で働いてる。僕も宇宙に興味あるけど、自分みたいに苦しんでいる人を1人でも多く助けたいから、僕は絶対お医者さんになるって決めてるんだ」


小さな体からは想像もつかないほど、玄希くんには活力がみなぎっていた。

私も見習わないとと思って彼の強い眼差しを見つめていた。


「蒼井さんは何になりたい?」


つぶらな瞳に見つめられて私はどぎまぎした。

自分の将来なんてあまり考えていなかった。

パティシエになりたい、お花屋さんになりたい、歌手になりたい、フードコーディネーターなんて聞いたことのない夢を語る友達もいた。

私は…漠然としていた。

なんとなく憧れている職業はあった。

でも、玄希くんに言うのはためらわれた。

軽々しく言っちゃいけないという小1のカンが働いた。

 
「私は…分からないなぁ」

「大丈夫、蒼井さんならきっと見つかるよ。その笑顔さえ忘れなきゃね」


玄希くんが何気なく言ったその一言が心のど真ん中を射った。


私はよく笑う子だった。

私が笑うとお母さんが笑ってくれたから。

お父さんがたまにしか帰って来なくて寂しがっているお母さんを楽しませたかったから。
喜ばせたかったから。 

だから笑うように心がけていた。


「玄希くんはどうして笑うの?」


アーモンドチョコをひと粒口に放り投げた玄希くんに私は質問した。

彼もまた、自分と同じ理由で笑ってるんじゃないかと思ったのだ。

玄希くんは複雑な笑みを浮かべた。


「僕、1人になりたくないんだ。おいて行かれるのが嫌なんだ。笑ってれば、例えそっぽ向いてても誰かは振り向いてくれるかなって。僕のこと、ちゃんと見てくれるかなって、そう思って…」


ポタリと玄希くんの右手に雫が落ちた。

私は咄嗟にその手を握った。

離しちゃいけない。

そう思った。


「大丈夫。私はちゃんと見てるよ。毎日ここに来るし、絶対に玄希くんを1人にしない」

「蒼井さん…」

「蒼井さんじゃなくて“晴香”って呼んで。私と玄希くんは友達だから。友達にはね、ウソついちゃダメ。無理しちゃダメ。何でも話すの。…分かった?」

「…分かった。ってゆうか、晴香、お母さんみたい」

「良いじゃん、別にぃ…」


玄希くんはこの時から私を名前で呼んでくれるようになった。

私はお母さんに、友達を呼び捨てにしてはダメよと常々言われていたから、くん付けで呼んでいた。
 
 




心のキョリが近づく程に、知らなくてもいいことを知ってしまう。

そう分かったのもこの時だった。
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