奈良まち はじまり 朝ごはん
「千鶴は結婚したかった。だけど、彼氏はあんな感じだ。最初に会った日に言ったとおり、結婚はあきらめかけていたんだろうな。だが、腰を打ったときに竜太が見せた『会議があるのを忘れていた』という素人以下の演技、さらにはお前の結婚についてのバレバレの意思確認。竜太が結婚を意識しだしていることを知った千鶴は、本能のままに行動しただけさ」

あの日の会話でそこまで……?

「だからってこんな大きなこと起こさないでしょ。想像だよ」

「筋を痛めたのは本当だろうな。それを利用してしばらく隠れていたんだ。今日だって、俺が千鶴に会ったのはこの店の前でだ。あいつはスーパーの袋を持って立ってたよ。最後のシーンを演じるために」

背筋になにか冷たいものが走る感覚。

あのやさしそうな千鶴さんがそこまで……。

「その表情。どうせ千鶴が怖い、とか思っているんだろ?」

「べ、べつに」

バレバレのウソに、やはり自分の演技力のなさを実感。

「怖くないさ。千鶴にとっても一世一代の演技だったわけだし、むしろああでもしないと、竜太は一生自分の本当の気持ちに気づけなかっただろうしな」

「でも、穏やかな人だと思ってたからびっくり」

「本当に手に入れたいもの、守りたいものがあれば人は変わるんだよ。なにもせずに失ってから嘆くくらいなら、行動する。それがわかったから俺も合わせてやったんだ」

きっと、失った穂香さんのことを思っている。だから、瞳に悲しみが浮かんでいるんだ。見つめられていることに気づいたのか、「それに」と、雄也はニヤリと表情を変えた。

「大人になりきれていない竜太に、あれくらいしっかりした千鶴はピッタリだとは思わないか?」

「まぁ、言われてみれば……」

自由な竜太さんに天然な千鶴さんも素敵だと思うけれど、むしろ片方がしっかり者ならもっと安心だ。

「あの竜太の顔を見たろ。あいつは気づいたんだよ、なにが大切なのかを」

クスクス笑った雄也になんだか力が抜けてしまう。

「前は『恋愛なんて錯覚だ』って言ってたくせに」

「そう、錯覚だ。だけど信じていれば形になったりするのかもな」

「恋愛って怖いんだね……」

唇を思わずとがらせてしまうと、雄也は珍しく声に出して笑った。
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