今宵、皇帝陛下と甘く溺れる

 男がアリーナを抱き締めた。あまり強くない力だった。そのままゆっくりとしつこく上から下から背をなぞる指に、ぞわりと全身が粟立つ。その手が後頭部まで至った時、意味もわからず腰が震えてアリーナは思わず声を上げた。

「やぁっ……!」

 しかし男は無視をした。そのままそうっと首筋を撫でる。幾度も全身を繰り返しなぞられて、アリーナは震え声で何度も制止の声を上げたが、男は応じない。やがて抵抗する力も失いぐったりとしたアリーナの顎を掬い上げた。

 アリーナのとろんとした目に男の赤い瞳が映る。吸い込まれそうなその瞳を、ぼんやりと、綺麗だな、と思った。

 端正な顔が近づいてくる。何も思う間も無く、唇があたたかなもので包まれた。口付けられたのだと気づくより先に、唇を強く吸われる。知らない感覚に白む視界に、止まっていた血が再び出る痛みが混じってちかちかとする。

 襟元が肌蹴られるのがわかった。でももう、どうでもよかった。肩までがむき出しになる。

 その白い肌に男の顔が近づく。首筋へ唇を寄せ、大きく口を開くと──噛み付いた。

「──ッ!?」

 ぶちりと自分の肌の繊維が千切れる奇妙な音が聞こえてくる。それなのに全く痛くなかったから、恐ろしかった。

 むしろ……気持ちよかった。血が吸われる感覚がする。身体から熱が少しずつ奪われていく。それと引き換えにもたらされるのは、体験したことのない甘さだった。

 しばらくして首筋から離れた頭を抱き抱え自分側に引き戻しそうになり、はっと我に返る。

「わ、わた、しは……何を……」

 あれほど欲にまみれた男達を卑下していたのに、これでは自分の方が彼ら以下ではないか。恥ずかしい。

 でも、あまりにも、気持ちよくて──

 服が肌蹴ていることも忘れ真っ赤になり顔を覆うアリーナに、男が自分の外套を被せた。何をしているのかと不思議そうな顔をするアリーナに視線を合わせて男は言う。

「聞け。俺にはお前が必要だ」

「……え?」

 どういうことか、とたずねようとしたアリーナの体が傾いた。ぐらりと視界が回る。

「吸いすぎたな。悪い。……あまりにも美味くて」

 言っていることは全くわからなかった。しかしそこでアリーナはふと目的を思い出して焦った声を上げる。

「待って、小麦粉……っ」

「小麦粉?ああ、それで……安心しろ。俺がどうにかしておく」

「安心……なんか、できるわけ、ない」

「お前も安全な所まで連れて行ってやる」

「はぁ……? いい、べつに……ほっといて……」

 こちらを見下ろす男の赤い瞳はよく夜空に映えて輝き、唇を彩る血の紅が酷く似合っていた。

 赤い光を見たら気をつけろ、それは彼らに見つけられてしまった証拠だから──

 あの迷信は、もしかしたら真実だったのかもしれない。そうアリーナは薄れゆく意識の中でそう思った。
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