クールな伯爵様と箱入り令嬢の麗しき新婚生活
「身体の調子はよさそうね、エリーゼ」
黒髪で黒い瞳の美しい女性は、妖艶で女性らしい身体をソファに収め、安堵したように柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、ロゼッタ。ここ一週間、予知夢を見ることもないし、身体が楽よ」
「それはよかったわ。彼との結婚には反対だったけれど、エリーゼの様子を見ると、やっぱり正解だったのかしらね」
複雑そうな表情のロゼッタは、エリーゼの診察や予知夢の研究をしている王宮医師である。エリーゼの父親が信頼を寄せる王宮医師長に予知夢の調査を依頼し、歳が近いほうがエリーゼも怯えないだろう、という理由から弟子のロゼッタを診察に同伴するようになり、今では彼女がエリーゼの主治医をしている。十歳年上のロゼッタにとって、幼い頃から診てきたエリーゼは妹のような存在であった。
「ええ。約束はここ一週間守ってくれているから、感謝しなくちゃ」
「その様子だと夫婦仲は最悪そうね……。というか、約束自体、夫婦で交わすような内容じゃないわ」
むっとするロゼッタに苦笑いしながら、エリーゼはアレックスのことを頭に思い浮かべる。
エリーゼより四歳年上のアレックス・ルーズベルト伯爵は、癖のない藤色の髪に碧眼の、優しげな印象の美丈夫だ。しかし、その甘い顔立ちとは対照的に剣の腕は素晴らしく、ローゼリア王国第一王子ジョイル・アーロン・ローゼリアの近衛騎士として活躍している。
容貌の美しさや騎士としての実力で有名なアレックスは、貴族令嬢のみならず王宮で働く女性たちにも人気があった。
彼の甘い微笑みと紳士的な振る舞いで、どんな女性でも落ちてしまうせいか、彼は〝恋多き男〟としても目立つ存在だった。アレックスとの恋仲を噂された女性は数知れず、『ただの遊び人』と陰で言われたりもしている。
ただ、そう見なされてしまうのは、なぜか交際が長く続かないからであり、本人に遊んでいるつもりは全くない。アレックスは純粋に、〝生涯愛せる女性〟を探し求めているだけであった。
女性に困ることもなく、人生を自由に謳歌していたアレックス。
そんな彼に、半ば強引に嫁いだのがエリーゼだ。
「彼に結婚を押しつけたのは、私だから」
エリーゼはそう小さく呟き、紅茶を飲むことで気を紛らわせようとする。
そんな彼女を見て、ロゼッタは『エリーゼの予知夢さえなければ、あんな男に嫁がせなかったのに』と悔しがる。
エリーゼがアレックスと結婚するきっかけとなった予知夢。それは、元気そうなエリーゼが、アレックスに『あなたのそばでなら私は生きられます。本当に感謝しています』と伝えているものだった。
予知夢を見れば、命が削られてしまうエリーゼ。そんな彼女が生きられるということは、アレックスのそばにいれば、『予知夢を見ないで済む』、もしくは、『予知夢を見ても身体にダメージを受けない』ということだ。
ロゼッタの長年の調査によって『エリーゼが予知夢を見るのは、真夜中から太陽が昇り始めるまで』ということが判明していた。だから、その時間帯にふたりが一緒に寝れば、『アレックスと一緒にいると、エリーゼが生きられる理由』がはっきりすると考えたのだが……。
付き合ってもいない、ましてや面識の一切ない男女に、そのような状況は作れなかった。しかし、一刻の猶予もない状況だったため、両親はエリーゼをアレックスのもとに嫁がせると決心したのだ。
「一緒に寝てから予知夢を見なくなったのよね？ それなら、やっぱり彼には夢を見させない何かがあるのだと思うの」
「そう、だと思う」
「彼のことを調べさせてくれないかしら。予知夢を見なくなった原因がもしわかれば、結婚生活を続けなくてもよくなるかもしれない！」
少しの希望が見えて興奮ぎみのロゼッタは、気づいていなかった。
エリーゼが、悲しげに窓の外を見つめていたことに。
「それではおやすみなさい、ソルティアさん」
「おやすみなさいませ、奥様」
エリーゼはロゼッタを見送ってひとりで食事をとると、侍女に寝る支度をしてもらい、寝室へと向かう。
ここ一週間、エリーゼはアレックスの姿を見ていなかった。仕事を終えたアレックスは、そのまま遊びに行っているのか、エリーゼの起きている時間に屋敷へ帰ってくることはない。
そして朝起きれば、すでに彼の姿はベッドにはない。ただ、ベッドの隣の空間に残る微かな温もりだけが、彼が先ほどまでそこにいたであろうことを物語っていた。
結婚初日には一応、初夜のためにと髪から身体まですべてを綺麗に整えて待ってはいたものの、アレックスが姿を現すことはなかった。
正直、エリーゼはこうなることを予想していたため、落胆しなかった。それよりもアレックスが約束を守ってくれるかのほうが心配だった。
彼との結婚にあたって、アレックスとの間で交わした約束とは――。
『真夜中までには屋敷に戻り、エリーゼの隣で眠る』ということ。
これは、エリーゼを予知夢から守るために、どうしても必要だった。
しかし、こんな条件を呑んでまで、どうしてアレックス側がエリーゼとの結婚を承諾したのか、エリーゼにはわからなかった。この結婚をすることによって、エリーゼ側はともかく、ルーズベルト伯爵家に利点があるとは思えなかったのだ。
ルーズベルト伯爵家はお金に困っているわけでもないし、家柄も悪くない。エリーゼと結婚して得することなどひとつもないし、アレックス本人も乗り気ではなかった。
それなのに、叔父であるベネリス・ルーズベルトはこの結婚を推し進めたのだ。
夫婦の寝室はアレックスとエリーゼの自室の間にあり、廊下に出なくてもいいよう扉で繋がっていた。寝室は、大きなベッドと椅子やテーブルがあるだけのシンプルなものだ。
初めてこの部屋を見た時、まるで私たち夫婦のように淡白だと、エリーゼは小さく笑った。昼間は顔を合わさず、寝る時だけともに過ごす。アレックスは結婚が決まった時からそうしようと考えていたのだ、と痛感せざるを得なかった。
「……何もない部屋ね」
安らぎも愛も、何もない夫婦の寝室。それは家族仲がよく、笑いの絶えない生活を送ってきたエリーゼにとって、ひどく寂しいものに思えた。
窓へと近づき、玄関先を眺める。それはエリーゼがこの屋敷に来た時から無意識にやり始めたことだ。
彼を好きなわけでも、待ちわびているわけでもない。彼が帰ってきたからといって喜ぶわけでもない。ただ、彼はエリーゼが予知夢を見なくて済むための、唯一の存在だから、つい帰りを気にしてしまうのだ。
これ以上の贅沢を言ってはいけない。彼に愛や会話、温もり――欲しいものを求められる立場ではないのだから。
黒髪で黒い瞳の美しい女性は、妖艶で女性らしい身体をソファに収め、安堵したように柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、ロゼッタ。ここ一週間、予知夢を見ることもないし、身体が楽よ」
「それはよかったわ。彼との結婚には反対だったけれど、エリーゼの様子を見ると、やっぱり正解だったのかしらね」
複雑そうな表情のロゼッタは、エリーゼの診察や予知夢の研究をしている王宮医師である。エリーゼの父親が信頼を寄せる王宮医師長に予知夢の調査を依頼し、歳が近いほうがエリーゼも怯えないだろう、という理由から弟子のロゼッタを診察に同伴するようになり、今では彼女がエリーゼの主治医をしている。十歳年上のロゼッタにとって、幼い頃から診てきたエリーゼは妹のような存在であった。
「ええ。約束はここ一週間守ってくれているから、感謝しなくちゃ」
「その様子だと夫婦仲は最悪そうね……。というか、約束自体、夫婦で交わすような内容じゃないわ」
むっとするロゼッタに苦笑いしながら、エリーゼはアレックスのことを頭に思い浮かべる。
エリーゼより四歳年上のアレックス・ルーズベルト伯爵は、癖のない藤色の髪に碧眼の、優しげな印象の美丈夫だ。しかし、その甘い顔立ちとは対照的に剣の腕は素晴らしく、ローゼリア王国第一王子ジョイル・アーロン・ローゼリアの近衛騎士として活躍している。
容貌の美しさや騎士としての実力で有名なアレックスは、貴族令嬢のみならず王宮で働く女性たちにも人気があった。
彼の甘い微笑みと紳士的な振る舞いで、どんな女性でも落ちてしまうせいか、彼は〝恋多き男〟としても目立つ存在だった。アレックスとの恋仲を噂された女性は数知れず、『ただの遊び人』と陰で言われたりもしている。
ただ、そう見なされてしまうのは、なぜか交際が長く続かないからであり、本人に遊んでいるつもりは全くない。アレックスは純粋に、〝生涯愛せる女性〟を探し求めているだけであった。
女性に困ることもなく、人生を自由に謳歌していたアレックス。
そんな彼に、半ば強引に嫁いだのがエリーゼだ。
「彼に結婚を押しつけたのは、私だから」
エリーゼはそう小さく呟き、紅茶を飲むことで気を紛らわせようとする。
そんな彼女を見て、ロゼッタは『エリーゼの予知夢さえなければ、あんな男に嫁がせなかったのに』と悔しがる。
エリーゼがアレックスと結婚するきっかけとなった予知夢。それは、元気そうなエリーゼが、アレックスに『あなたのそばでなら私は生きられます。本当に感謝しています』と伝えているものだった。
予知夢を見れば、命が削られてしまうエリーゼ。そんな彼女が生きられるということは、アレックスのそばにいれば、『予知夢を見ないで済む』、もしくは、『予知夢を見ても身体にダメージを受けない』ということだ。
ロゼッタの長年の調査によって『エリーゼが予知夢を見るのは、真夜中から太陽が昇り始めるまで』ということが判明していた。だから、その時間帯にふたりが一緒に寝れば、『アレックスと一緒にいると、エリーゼが生きられる理由』がはっきりすると考えたのだが……。
付き合ってもいない、ましてや面識の一切ない男女に、そのような状況は作れなかった。しかし、一刻の猶予もない状況だったため、両親はエリーゼをアレックスのもとに嫁がせると決心したのだ。
「一緒に寝てから予知夢を見なくなったのよね？ それなら、やっぱり彼には夢を見させない何かがあるのだと思うの」
「そう、だと思う」
「彼のことを調べさせてくれないかしら。予知夢を見なくなった原因がもしわかれば、結婚生活を続けなくてもよくなるかもしれない！」
少しの希望が見えて興奮ぎみのロゼッタは、気づいていなかった。
エリーゼが、悲しげに窓の外を見つめていたことに。
「それではおやすみなさい、ソルティアさん」
「おやすみなさいませ、奥様」
エリーゼはロゼッタを見送ってひとりで食事をとると、侍女に寝る支度をしてもらい、寝室へと向かう。
ここ一週間、エリーゼはアレックスの姿を見ていなかった。仕事を終えたアレックスは、そのまま遊びに行っているのか、エリーゼの起きている時間に屋敷へ帰ってくることはない。
そして朝起きれば、すでに彼の姿はベッドにはない。ただ、ベッドの隣の空間に残る微かな温もりだけが、彼が先ほどまでそこにいたであろうことを物語っていた。
結婚初日には一応、初夜のためにと髪から身体まですべてを綺麗に整えて待ってはいたものの、アレックスが姿を現すことはなかった。
正直、エリーゼはこうなることを予想していたため、落胆しなかった。それよりもアレックスが約束を守ってくれるかのほうが心配だった。
彼との結婚にあたって、アレックスとの間で交わした約束とは――。
『真夜中までには屋敷に戻り、エリーゼの隣で眠る』ということ。
これは、エリーゼを予知夢から守るために、どうしても必要だった。
しかし、こんな条件を呑んでまで、どうしてアレックス側がエリーゼとの結婚を承諾したのか、エリーゼにはわからなかった。この結婚をすることによって、エリーゼ側はともかく、ルーズベルト伯爵家に利点があるとは思えなかったのだ。
ルーズベルト伯爵家はお金に困っているわけでもないし、家柄も悪くない。エリーゼと結婚して得することなどひとつもないし、アレックス本人も乗り気ではなかった。
それなのに、叔父であるベネリス・ルーズベルトはこの結婚を推し進めたのだ。
夫婦の寝室はアレックスとエリーゼの自室の間にあり、廊下に出なくてもいいよう扉で繋がっていた。寝室は、大きなベッドと椅子やテーブルがあるだけのシンプルなものだ。
初めてこの部屋を見た時、まるで私たち夫婦のように淡白だと、エリーゼは小さく笑った。昼間は顔を合わさず、寝る時だけともに過ごす。アレックスは結婚が決まった時からそうしようと考えていたのだ、と痛感せざるを得なかった。
「……何もない部屋ね」
安らぎも愛も、何もない夫婦の寝室。それは家族仲がよく、笑いの絶えない生活を送ってきたエリーゼにとって、ひどく寂しいものに思えた。
窓へと近づき、玄関先を眺める。それはエリーゼがこの屋敷に来た時から無意識にやり始めたことだ。
彼を好きなわけでも、待ちわびているわけでもない。彼が帰ってきたからといって喜ぶわけでもない。ただ、彼はエリーゼが予知夢を見なくて済むための、唯一の存在だから、つい帰りを気にしてしまうのだ。
これ以上の贅沢を言ってはいけない。彼に愛や会話、温もり――欲しいものを求められる立場ではないのだから。
