半透明のラブレター
中野がそう言った後、俺はゆっくりと教室の中へ足を踏み入れていた。壁中に貼り出されている作品の数々は、ずしんと重い字だったり、すらりと軽い字だったり、書き方は様々で想像以上に見ごたえがあった。俺が字に見入っていると、中野が頭を搔きながら恥ずかしそうに近寄ってきた。
「実はそこのスペースの全部ね、私が書いた作品なんだ」
「え、こんな達筆な字も書けるの?」
 驚き、声を上げると、そんなにすごいことじゃないよって、中野は笑った。
「今さ、みんな遊びに行っちゃってさ。私一人しかいないんだよー。あ、一年は朝倉先生の手伝いやらされてるんだけど」
 中野はくるっと俺に背を向けて、さっき書いた作品を洗濯バサミではさんで吊(つ)るした。中野が動くたび揺れる髪飾りに、なんだか少しドキッとしてしまう。浴衣のせいでいつもと雰囲気が違うから戸惑ってしまい、目が泳いだ。そんな俺を知ってか知らずか、中野はまたひらりと浴衣をひるがえした。
「見て見て! 約束通り書いたよ。日向君の名前」
 中野が指差したそこには、『佳澄』という二文字。俺が中野の浴衣姿にぼうっとしている間に書き上げてくれたらしい。線の太さも微妙に変えた俺のイメージだというその字は、水面に広がる波紋のように涼しげで美しかった。今、初めて自分の名前が少しだけ綺麗だと思えたかもしれない。大げさかもしれないけど、そのくらい、感動したんだ。
 また、この間、中野が泣いたときと同じような感情が胸を揺さぶった。むずがゆくて、あたたかくて、苦しくなるような、そんな感情だ。
「……ごめん、あんまりイメージ通りじゃなかった?」
「そんなことない、上手くて、言葉失くしてた」
「はは、それは言い過ぎだよ」
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