不器用な僕たちの恋愛事情
0.プロローグ

初めて出会ったのは、二人がまだ中学二年の晩秋の放課後。

オレンジの空が辺りを染めていた。

部活動中の生徒の声が、この中庭まで遠く聴こえてくる。

三嶋十玖(みしまとおく)が、幼馴染みの橘苑子(たちばなそのこ)にダメ出しを食らって、気分転換がてら所属する合唱部を抜け出し、この中庭で顔をタオルで覆ってうとうとをし始めた頃に、垣根の向こうから、女の子の声が聞こえてきた。

どこかウキウキした明るい声が「先輩」に話しかける。しかし先輩はそれに応える様子もなく、女の子の声だけが耳に届いてくる。

どこか耳障りの良い声。高過ぎもせず低過ぎもせず、ふわっとした話し方がじっくりと浸透するような、そんな声。

(この声……好きだなぁ)

十玖はぼんやりと思う。

合唱部に欲しいな、などと呟いた時、今まで無言だった先輩が重い口を開いた。

「あのさ……こーゆーのもお止めね?」
「えっ?」

寝耳に水と言った少し間の抜けた声が聞き返す。

「なんで?」
「ほら、俺一応受験生だし、さ」

歯切れの悪い物言いの先輩に対して、滑舌の良い声が控え気味に訪ね返す。

「あたし邪魔してますか?」
「……てか晴日の妹だからもっと軽いノリで、ヤらせてくれんじゃないかって思ったのに、おまえ全然じゃん。だったらもおいいわって感じ?」

聞く気はないけれど、ついつい聞いてしまった言葉に彼女は無論、十玖まで絶句してしまった。

(……酷いなぁ)

微かな同情と、別れ話の現場に居合わせてしまった間の悪さに溜息をつく。

気を取り直した彼女は憤りを声にする。

「なんですか、それ」
「なんですかって、そのまんまだよ。おまえ重いし、ヤれないんだったら別にいらねえし」
「ひどっ」
「なんで、呼び出しはこれきりにしてくれよな。んじゃ」

言いたいことだけ言って、先輩は振り返りもせず、小刻みに震える彼女を置き去りにしてこの場を立ち去った。

いたたまれない。

十玖は物音を立てないように、そろそろと身を起こし、垣根に身を隠しながら四つん這いで移動を始めたその時……場の空気なんて分かりようもない声が、屋上から十玖に降り注がれた。

「ちょっと十玖!いつまで油売ってんの!?」

ヤバイと思うのと同時に、慌てふためいて自分でも訳のわからない行動をバタバタしている十玖を、苑子は冷ややかに眺めおろし、

「さっさと戻ってきなさい!」

怒声が容赦なく降ってくる。当然彼女も気が付くわけで。

十玖は諦めて立ち上がり、そしてゆっくりと彼女の方を振り返った。

彼女は静かに泣いていた。雫が頬を伝い、オレンジの粒が滴り落ちる。

――――見とれた。

不謹慎だという考えも及ばない。ただ見とれてしまった。

色素の薄いふわふわと肩先で揺れる髪にオレンジが映える。抜けるように白い肌もオレンジに染められて、大きな雫をたたえる瞳は鳶色。

数秒だったのか、数分だったのか、彼女に睨まれて十玖は我に返った。

さっきまで顔を覆っていたタオルをぎゅっと握り締める。

垣根を回って彼女の前に立ち、タオルを突き出した。彼女は一瞬タオルに目を落とし、すぐにそっぽを向く。当然の反応だ。しかし十玖も気まずさやら恥ずかしさやら、何か理由がわからない感情でテンパってしまっていて、引くに引けずに彼女の手を取り、タオルを握らせた。

「……やる」

一言だけ言って、十玖は走り出した。

後から、自分の顔に掛けていた事を思い出して、頭を抱えて身悶えするのだけど、この時はただひたすら幼馴染みがいる屋上を目指して走っていた。

彼女は握らされたタオルにふと視線を落とし、次々と溢れてくる涙をそのタオルで覆う。

柔軟剤の優しい香り。深く吸い込んで、彼女は号泣した。


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