不器用な僕たちの恋愛事情
2. 晴日と美空とA・Dと

 六月一週目の金曜日。

 朝から十玖は疲れているようだ。

 アンニュイな風体が女子たちの視線を奪い、うっとりさせている今の状況を、美空と苑子だけは冷静に見ていた。

 晴日乱入事件からこっち、美空と苑子には妙な連帯感と友情が芽生えていた。

 手のかかる子供を見る保護者たちのような感じだろうか。

「疲れてるね」
「うん。疲れてるね」
「まあ、今まで楽な人間関係しか作ってこなかったから、いいザマだわ」
「結構、毒舌だよね」

 可愛い顔をして、と本人には言わないが。

 そお? としれっとした苑子。

「旧知の仲としてはほっとけないって言うか、ほっといたらボンヤリで貧乏くじばっか引くし、またそれを全く気にしないからイラっとするのよね。分かってて十玖に付き合ってるあたしもよっぽどのお人好しだけど、天駆兄ちゃん、十玖のお兄さんね。天駆兄ちゃんに頼まれなかったら、今頃彼氏でも作ってるのに、って思うわけよ。律儀に幼稚園のころの約束をいまだに守ってるあたしって何っ!? て思ったら、こんなの毒舌でもなんでもないわね」

「……あたし、三嶋と付き合ってるんだと思ってた」

「やめてっ! 本気でやめて。アレはあたしにとって男にカウントされてない。だったら太一の方がマシ。てか太一も似たようなもんだけど、なまじ知ってるだけに、寒気する」

 身震いするあたり、本気で嫌そうだ。

 疲れきった面持ちで、授業の用意をする十玖を眺める。

(カウントされてないとか、マシとか言われている幼馴染み二人の立場って……)

 何となく、ホッとした自分に美空は眉をひそめた。

 苑子は続ける。

「人としては、いい奴なんだけどね。十玖って心の機微に疎いし、うっかり者すぎて彼女も作れないんじゃないかと思うと心配で。早く彼女にバトンタッチしたいんだけど……ねえ。アレいらない? 性格からして浮気はしないと思うよ?」

 十玖を指差して、苑子は何気なく言ったのだけれど、美空の思考回路は一瞬フリーズした。

 予想だにしなかった苑子の振りに、咄嗟に言葉が出てこない。

 十玖を見て、苑子に視線を移す。

「……えっとぉ」
「ごめん。美空ちゃんにも選ぶ権利あるよね」

 すっと立ち上がって、美空に向き直る。

「斉木先輩に出会えたこと、十玖には良い刺激だと思ってる。だから、迷惑かも知れないけど、協力してね」
「う……ん」

 返事はしたものの、気は進まない。

 何を協力したらいいのか分からないのもあるが、十玖に関わりたくない。

 十玖の視線は、居心地が悪くなるから。

 席に戻る苑子を見送り、頬杖をついて瞑目する十玖を見る。

 何かが動き出した。

 晴日が投げ込んだ石は、やがて大きな波紋を生む。




 晴日はあの宣戦布告から毎日やってくる。

 現に今も弁当持参でやって来て、十玖が聞いてるかどうかもお構いなしで、思いつくまま話している。

 十玖はこっそり溜息をつく。

 一日目、土曜で学校が休みだから晴日から開放されたと思いきや、自宅まで彼らのCD持参で押しかけられ、引き続き勧誘された。

 二日目、晴日に捕まる前に朝早く逃げ出そうとしたら、出待ちしていた晴日と謙人に捕獲され、謙人の家に拉致された。謙人の家は豪邸で、音楽機材も充実していたため、うっかり嵌ってしまい、危うく堕ちそうになったのを辛がら逃げ帰った。

 三日目、晴日が来ないうちに教室抜け出すも、学校には晴日の間者が多すぎて、敢え無く捕獲。

 四日目、休み時間のたびに尽く追いかけっこを繰り返した。

 五日目、逃げ回る十玖の移動教室を狙って、竜助と二人掛りで屋上に拉致。また延々と勧誘されるのかと思いきや、好きな歌を歌いまくっていた。

 六日目、逃げるのを諦め、勧誘を聞き流していたが、放課後、校門に謙人が来ていて、そのまま捕獲。謙人の家の車まで手配されていて、謙人の家に連れて行かれ、危うくまた堕とされそうになった。

 七日目、ただひたすら耐え忍び、やり過ごす。

 八日目、二度目の土曜日。逃げる気力もなく、大人しく晴日に捕獲され、A・Dの元ヴォーカル 涼の入院する病院に連れて行かれた。涼との会話は筆談だったが、有意義な時間だったと言える。

 九日目、朝からちゃっかり家に上がり込んで、家族に熱烈歓迎されていた。完全に丸め込まれた家族たちの強力な後押しを得て、晩ご飯まで食べていく始末。

 ここまで来ると、頑なに拒否するのが虚しくなってくる。

 だからと言ってA・Dに入ってしまうのは、晴日に負けるみたいで癪に触った。

 十日目から今日に至るまで、晴日が来るに任せて、他愛のない会話をしてみる。

 返事はあくまでNOであるが。

(ここまで消耗戦になるとは思ってなかったなぁ)

 晴日も大概しつこい。

 ここまで断られ続けたら、いい加減脈なしと諦めてくれてもいいのに。

 隣のクラスの友人、大友 琉珂(おおともるか)と談笑する美空を何気に見る。そこに空かさず気付いた晴日は、バシっと平手で十玖の目を覆った。

「痛いです」
「どこ見てんだよ」

 もうここまで来ると、誰も見向きもしない。

 二人のやり取りは、すでに日常と化している。

「先輩の顔ばかり見飽きました」
「お前が素直に“うん”と言わないからだろ。それに誰が美空を見ていいと言った」
「僕がどこを見て、誰を見るかは自由です」
「美空を視姦すんじゃねぇ」
「し、視姦なんてしてません」

 耳まで真っ赤になる十玖。

「ウブいのぉ。童貞か」
「……っ」

 図星を刺されて言葉を失う十玖に、晴日はニヤニヤする。

「女紹介するか?」
「結構です」

 にべもなく断った十玖をヘッドロックし、耳元で囁く。

「紹介するから、美空は諦めろ」
「嫌です」
「他にもいい女なんているだろ」
「知りません」

 あまりの堅物ぶりに晴日は言葉を失った。ヤリたい盛りの男子が、女を紹介すると言われて蹴るってのも予想外だったし、他のいい女なんて見向きもしない発言。

 マジマジと十玖を見る。

 美空を見つめる優しく切なげな眼差し。

 だから、らしくもなく気になってしまった。

「いつから美空に惚れてるん?」
「そんな事、関係ないじゃないですか」
「いーから。いつからだ?」

 ヘッドロックされた真っ赤な十玖が、横目に晴日を睨む。

「……中二、です」

 晴日は、きょとんとしてしまう。

 高校からだと勝手に思い込んでいたが、とんだ純情少年じゃないか。

(聞いたこっちまで赤面しそうなウブっぷりだな)

 ヘッドロックから十玖を解放しながら、何故だか大事なものを失くしたような自分を感じる。

 そんな十玖が相手だから、他には絶対言わないし、完全に阻止する事を敢えて聞いてみたくなった。

「告んないのか?」

 ありえない言葉を晴日の口から聞いた。十玖は目を丸くして晴日を凝視する。

「はい……?」
「だから告んないのか?」
「どっか悪いんですか?」
「質問に質問で返すな。俺の聞いたことに答えろよ」

 想像だにしなかった。よもや晴日にこんな質問をされるとは。

 言い淀む十玖。ちらりと美空を見て、その大きな手が顔を覆う。深々と溜息をついた。

「多分、嫌われているから。僕が、デリカシーないことしてしまったんで」

 不可抗力だったとは言え。

「何やったんだ?」
「それは彼女のプライバシーだから、僕の口からは言えません。なので心配しなくても大丈夫です。告白なんてしませんから」

 だから放っといて下さい、と今にも泣きそうな声になる。

 顔は隠しているが、実際、泣き出す直前の心もとない表情をしているのだろう。

 晴日は、自分がすごい人非人のような気分になってしまい、十玖の背中をポンポンする。

 それを琉珂が見止め、美空に教える。眉をひそめて睨む美空と目が合った。

「お兄ちゃん、何やらかしたの?」
「え……っ。何って」
「なに鉄仮面を追い詰めてんの?」
「ってか俺? いや。俺か……? いや違うだろ。原因は他にあってだな……あーもおっ!俺だって困ってんだよ!! 聞くなっ」

 勘弁してくれよ、と美空に誤解されて泣き言を言う。

 十玖は息を大きくひとつ吐き、くいっと顔を上げる。目が赤い。

「すみません。もう大丈夫です」

 もういつも通りの無表情で、晴日に会釈する。それから美空に一瞥をくれて、晴日をもう一度見る。

「A・Dの件は、きっぱり諦めて下さい。僕には、無理です」

 辛すぎて。

 十玖の心の声が聞こえた気がして、晴日はそれ以上触れられなかった。




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