オトナの恋は礼儀知らず
「仕事、忙しそうですね。」

「えぇ。新しいことを始めようとしてて…。
 ほら美容師ってシャンプーで見習いの子ほど手荒れがひどくて………どうしました?」

 にこにこ笑っている桜川さんが手を伸ばして、近づけた顔にそっと唇を寄せた。

「美容師なんですね。
 初めて話してくれました。」

 ………あぁ。私たちは何も知らない。
 お互いのことをこんなにも知らないのに……。

「それで?」

「それで……エステのマッサージを始めたくて、見習いの子にして欲しいんだけどなかなか荒れてる手じゃ……。
 でも見習いの子に覚えてもらえばエステのジェルを扱うことで手荒れがよくなるし。」

 食事をしていた手を止めて、桜川さんの手に自分の手を重ねた。
 こんなに愛おしいのにそのことを伝えずにいたなんて。

「友恵さん?」

 穏やかな桜川さんが微笑んでいる。

 馬鹿ね。
 桜川さんが私の前から去ることなんてない。
 もしあるのなら死が2人を分かつ時……。

 だからもっと自分も素直になればいいのよ。

「友恵さんは思っていた以上に素敵な方で僕は嬉しいですよ。
 友恵さんが見習いの子たちのことも考える人だからこそ………。」

 テーブルを乗り越えてキスをすると驚いた顔の桜川さんがキスを返した。

「どうしました?
 友恵さんからなんてベッドの中でもないのに珍しい………。」

「側にいきたいです。
 そっちに行ってもいいですか?」

 ダイニングの椅子はもちろん1人掛けで2人で座れる大きさではない。

「ソファに行きましょう?
 食事はもうご馳走様にしましょう。」

 桜川さんの提案も聞かずに無理矢理に桜川さんにもたれかかった。
 椅子がギシッと鈍い音を立てて重量オーバーだと伝えている。

「重なり合うくらい近くにいたいんです。」

 少しだけ素直になれた消えかけた声に「可愛い人ですね」と笑われた。




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