揺蕩うもの
三 過去(二)
 『女の子だって、自立出来ないといけない時代なんだから』と言うのが母の口癖だった。それは、家から通える高校の方が良いと、中学の担任が薦めた進学高校を受験せず、いわゆる『並』で『平凡』な高校を選んだ私の決断を嘆く母の口癖だった。
 『家の手伝いができるから』なんて理由ではなく、『制服が気に入ったとか』、『好きな先輩がいる』とか、母が納得しやすい理由を考えるべきだったのに、うっかり口を滑らせて言ってしまったのだから仕方ない。それでも、父は『どこの高校に行っても最後は本人の努力次第だよ』と味方になってくれた。


 高校の入学式の後、ずいぶんしばらくぶりに家族揃って写真を撮った。『何も、わざわざ写真館で撮らなくても、どうせ成人式にはもっと仰々しいものを撮るのに。やっぱり女の子は待遇が違うねぇ~』と、お兄ちゃんは冗談めかして言いながらも、写真撮影に付き合ってくれた。そして、その日は珍しく家族で外食をした。忙しいお兄ちゃんは、写真撮影のために仕事を抜けて来て一度仕事に戻り、夕方になって再集合して家族全員で食事をした。
 地元ではちょっと有名なそのレストランでは、他にもお祝いする家族が多く、父は久しぶりにあった同級生と話が弾み、私とお兄ちゃんは両親より一足早く家路についた。『入学二日目から遅刻なんてしたら、クラスのはみ出しものになっちゃうから』と言うと、お兄ちゃんは『二日目から堂々と遅刻なんて、一目置かれるかもしれないぞ』と冗談めかしながら、二人で家路についた。


 家に帰り、翌日の支度も終え、そろそろお風呂に入って寝ようかとお兄ちゃんと話しをしていると家の電話が鳴った。
 最近、家の電話が鳴るのはセールス関係の電話ばかりだったし、こんな遅い時間に電話がかかってくるのは不自然だったので、お兄ちゃんが進んで電話に出た。
「もしもし?」
 こちらから名乗らないのは、詐欺対策のためだ。しかし、電話にでたお兄ちゃんの顔から血の気が引き、見る間に蒼白になって行った。
「お兄ちゃん?」
 声をかけてもお兄ちゃんは私の方を向こうともせず、『わかりました。すぐに伺います。』とだけ言うと電話を切った。
「お兄ちゃん?」
 首をかしげて問いかける私をお兄ちゃんは無言で抱きしめた。
 突然のことに驚いてお兄ちゃんを見上げると、絞り出すように『父さん達が事故に遭った』と、お兄ちゃんはいった。
「事故? どこの病院? けがは?」
 問いつめる私にお兄ちゃんは、ただただ頭を横に振った。
「お兄ちゃん?」
「警察が遺体の確認に・・・・・・」
 お兄ちゃんの言葉は、最後まで聞き取れなかった。まるで、蝉が耳の中で鳴いているような音にかき消され、何も聞こえなくなっていき、私は意識を失った。


 目が覚めると、私は一人で部屋に寝かされていた。
 起き上がった私は『リアルすぎる悪夢』だと思って深呼吸した。しかし、私の枕元には『一人で確認に行くから、家で待っていてくれ』というお兄ちゃんの手書きのメモもが残されており、すべてが悪夢ではなく現実だったことを教えてくれた。
 私はすぐにお兄ちゃんの携帯に電話をかけた。
 五回ほど鳴った後、兄がやっと電話にでた。
「いま詳しい話を聞いて、これから帰るから。お前は絶対外に出ないで、家で待ってろ」
 お兄ちゃんの声は、聞いている私の方が泣き出しそうなくらい震えていて、弱々しく、私は『わかった』とだけ答えた。

☆☆☆

 変わり果てた両親の姿に絶句しながらも、俺は妹に見せられない様な姿でなかったことにほっとしていた。弱いくせに、強がるあいつの事だ、どんな姿であっても、両親の最後の姿を見たいと言う事はわかっていた。だから、せめて妹に見せられない姿になっていないことだけを祈っていた。既に、警察で死亡が確認されている以上、それ以上に望めることは何もなかった。
 俺達と別れた後、両親はしばらく旧交を温めたが、明日も仕事や学校があることを気に掛ける母に促され帰路についたらしい。警察の説明によれば、赤信号で停止していた父の車に違法薬物を使用した青年の運転する車がほぼ真横から突っ込み、両親の車は道路から押し出される形で河原に転落した。
 ぶつかってきた青年の車は、猛烈なスビートで道路を逆送した上、カーブでハンドル操作を誤り、中央分離帯を飛び越えるようにして突っ込んだらしい。それでも、犯人は車を乗り捨てて笑いながら逃走を試みたが、すぐに駆け付けた警察官に身柄を確保された。両親は追突、転落の衝撃で頸椎、脊椎と内臓を激しく損傷し、駆けつけた救急隊が車の中から救出した時には心肺停止状態で、病院で死亡宣告を受けた。ほぼ即死だったらしい。苦しまなかったのが、せめてもの救いだった。


 俺が帰宅すると、妹は捨てられた子猫のように体を丸めて布団の上に座っていた。
「置いて行って悪かった。さびしかっただろう。葬儀屋さんにも連絡してあるから、明日、お前もお別れを言えるから心配しなくていい」
 俺が言うと、妹はしゃくりあげながら無言で頷いた。
「さっきも倒れたんだ。俺がそばにいるから、寝た方が良い」
 俺の言葉に、妹は何度か頷いて見せ、そのまま布団に潜り込んだ。その肩が震え、妹が俺に心配をかけまいと、必死に涙を堪えながら泣いているのが分かった。
「声を出して泣いていいんだ。我慢なんて、する必要ない」
 次の瞬間、妹は起き上がると俺の胸に飛び込んで声をあげて泣き始めた。そして、涙が枯れ、疲れて眠りに落ちてしまうまで、ずっと泣き続けた。俺はこの時、何があっても妹を守り続けると決心した。両親が居ないと妹が後ろ指を指されることがないように、両親の代わりに自分が妹を守りぬくのだと、心に誓った。


 両親の葬儀は、完全に葬儀屋任せの葬儀屋主導で進められた。一人っ子同士の両親には兄弟がなく、祖父母も両方とも妹がまだ小さいころに他界したので、俺自身、葬儀というものがどうあるべきなのかよく分からなかった事もある。妹は憔悴していて、俺がついている必要があったから、葬儀の方は完全に任せるほかなかった。
 事故の状況から、警察からは犯人の青年が刑事告訴されたことが知らされていた。向こうの弁護士からは何度となく連絡があり、青年の両親がお詫びに伺いたいと言われたが、俺は断り続けた。
 子供のしでかした事に親が責任を感じるのは普通かもしれないが、両親を死に追いやった本人以外から謝罪を受けても何の意味もないとしか俺には思えなかった。
 幸い、近所付き合いのよかった両親のおかげで、ご近所からの支援を受けられ、通夜も告別式も、まるで人ごとのように進んでいった。仰々しくない節度のあるお花がたくさん届けられ、しまいには両親の寝室は足の踏み場もないくらい花で埋め尽くされた。白とブルーを基調とした花々が、寂しさと悲しみのために整えられたことを無言で伝えていた。
 相手の親からも当然花が届いたが、あまりに仰々しすぎて場にそぐわないからと、俺は妹の目に入る前にそれを花屋に持ち帰って貰った。


 火葬場の煙突から天に昇っていく煙を見つめながら、俺はやつれた妹の肩をしっかりと抱きしめた。
 こうして、俺たちは両親を失った。
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