黎明皇の懐剣



 ◆◆


「やっぱり行ってしまうのかい? ユンジェ、ティエン」

 出発の朝、ユンジェとティエンはジセン達に見送られる。
 不安げに尋ねてくるジセンを筆頭に、幼子を抱くトーリャや、涙ぐむリオがもっと休んで行けば良いと言ってくれた。

 嬉しい申し出だが、これ以上、彼等に迷惑は掛けられない。
 向こうには見張りとも言える、天士ホウレイの兵が待ち構えている。二人がここにいる限り、カグム達は動かないだろう。仕事の邪魔になってしまう。

 また二人はお尋ね者だ。そして謀反兵のカグム達も追われる身だ。王族の兵に見つかれば、この土地共々ジセン達の大切な桑畑が荒らされてしまう。一刻も早く出発した方が良い。

「すごくお世話になっちまったなぁ。リオ、トーリャ、ジセン、本当にありがとう。この恩は忘れないよ」

「何を言うんだい。僕達こそ君達に救われたよ。二人がいなかったら、僕は嫁も家も失っていた。ユンジェ、あの時は本当にありがとう。僕は君のおかげで命拾いをしたよ」

 ジセンは手を差し出し、ユンジェと握手を交わすと、ティエンにもそれを求めた。

「ティエン、君は災いを運ぶと言ったけれど、僕はそうは思わなかったよ。寧ろ、あの夜の君を通じて僕は、麒麟を見た気がする。もしかして君は麒麟なのかもね」

 目を丸く彼に、「なんてね」とジセンは肩を竦めた。

「どうか、また遊びに来ておくれ。君もユンジェも大切な友人だ」

「呪われた王子に、そんなことを言ってくれる奇特な方は、国を探してもジセンくらいなものですよ」

 彼と入れ替わり、トーリャが交互に額を重ねてくる。

「どこに行っても仲良くするんだよ。ユンジェ、しっかり者のあんたなら大丈夫さ。ティエン、ちゃんと食べて太くなるんだよ」

 そしてリオは天士ホウレイの下へ連れて行かれる二人を、きつく抱擁した。

「死んじゃ駄目だからね。ユンジェも、ティエンさんも、私のご飯をまた食べに来て。温かいご飯をみんなで囲んで、楽しいお話をしましょう。お酒だって飲みましょう。待っているからね、ここを訪ねてくる二人を、ずっと、ずっと!」

 追われる二人にも、生きて再会を待つ者がいる。リオはそれを何度も教えてくれた。泣きながら教えてくれた。

 ユンジェは困ってしまう。最後くらい笑顔で見送ってほしい、と思うのは、些か贅沢だろうか。


「リオ、頑張れよ。ジセンさんとしっかりな。一人にしてやんなよ」

「ユンジェもね。ティエンさん、私より弱そうだから、ちゃんと守ってあげてね」


 大笑いするユンジェの隣で、ティエンが複雑な顔を作った。十五の娘にまで、自分より弱いと言われるとは思わなかったようだ。
 しかし、比較してみると、確かにリオの方が強そうである。ティエンが、まこと強い男になる道のりは険しそうだ。

「あとね。これ、生桑の実。保存が利かないから、今日明日中に食べて」

 布袋に入った桑の実を受け取り、二人はみなに深々と頭を下げた。
 別れの言葉を交わす、その中に三人の多大な心配が伝わってくる。これはただの出発ではない。天士ホウレイの兵達に連行される出発だ。
 これからの旅路を三人は、いつまでも心配してくれる。

 ユンジェとティエンとて、不安がないわけではない。カグム達の目を盗んで、また逃げ出すことができるのか、頭を抱える日々が続くだろう。
 だが、見送ってくれる三人には笑顔で大丈夫だと言いたかった。彼らに大きく手を振り、自分達を待つ謀反兵の下へ向かう。

「ティエン。俺達、しばらくはカグム達の言いなりだな。どうするよ」

「言いなりになんてなるものか。お前とよく考えて、逆らう道を探すさ」

「偉そうに、よく言うぜ。俺を置いて行こうかなぁ、なんて考えたくせにさ」

「そんなクダラナイ話はもう忘れた。まあ、話はユンジェの傷が癒えてからだな。それまでは、向こうの様子見だ。必ず隙を見つけてやる」

 ティエンは逃げ出す気満々のようだ。
 さっそくリオから貰った桑の実を、ひとつ抓み、あくどい顔を作っている。体はともかく、心は確実に強くなっている気がした。良い意味でも悪い意味でも。


「ユンジェっ!」


 足を止めて振り返ると、長い髪を靡かせたリオがユンジェに駆け寄り、勢いよく飛びついてくる。反射的に受け止めたことで肩が悲鳴を上げた、面には出さなかった。

 一体全体どうしたのだ。
 彼女の行動に戸惑っていると、リオが泣きながら、笑いながら、告げてくる。

「ユンジェ。私は幸せになったわ。仕事だって挫けずに続けているわ。ジセンさんの傍で、いつも笑っているわ。貴方の言葉通りになったの。私は今、とても幸せよ」

 それはリオが嫁ぐと知った時に贈った、激励の返事であった。気付くのに少々遅れてしまったユンジェだが、幸せを繰り返されることで、返事だと察する。

「だからっ!」

 感情をこらえ、リオはしゃくり上げる。


「今度はユンジェの番。必ず幸せになって。何が遭っても挫けないで。貴方は笑っている顔が一番素敵よ」


 リオのくしゃくしゃな笑顔が、頬を伝った涙が、胸に突き刺さる。

 でも、あの時のようにつらい気持ちにはならない。少々しょっぱかったが、喉の奥もひりついたが、とても温かな気持ちになった。この気持ちにつける名前を、ユンジェは知らない。

 ユンジェは必死に言葉を探す。
 王族が使う立派な言葉も、気の利いた言葉も、知らない自分だけど、素直な気持ちなら伝えられる。

「いつかまたリオに会いに来たら、その時、今の言葉に返事をするよ。お前が俺に返事をくれたように、俺もお前に返事をする。それまで待っててくれな」

「絶対よ。私、おばあちゃんになっても待っているから」

 これで最後になる抱擁を交わし、ユンジェはリオに笑顔と想いを残して、ティエンと去って行く。

 彼女は最後まで二人を見送り、大きく手を振ってくれた。いつまでも手を振ってくれた。


 ああ、彼女は確かに、ユンジェの想い人であった。甘さも酸っぱさも苦さも、そして――いとしい気持ちも、余すところなく教えてくれた、初恋の人であった。

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