黎明皇の懐剣

十二.麟ノ国第二王子セイウ(壱)




 ユンジェはここ数日の記憶がうろ覚えであった。

 高い熱を出した日のことは憶えており、迫る追っ手に怯えていたような記憶がうっすらと残っている。

 日の出と共に馬に乗せられ、ひたすら揺られていた記憶も、まあ、なんとなく。

 しかし。その後の記憶が殆どない。
 目が覚めたら、小屋の寝台に寝かされていたので、とても驚いてしまった。
 経緯はハオから簡単に聞いたので、自分が死に掛けたことに、少々気まずさを感じてしまう。ティエンに大きな心労を掛けたのは明白であった。

 けれども、ティエンはおくびも出さず、ユンジェの目覚めを喜んだ。
 会話ができるまでに回復したことが、本当に嬉しかったようで、よく話し掛けてくる。気分や調子も聞いてくる。ついでに、期待も寄せてくる。


「ユンジェ。それはな、私が夜の山で摘んできたんだ」


 寝台の上で木の器に入ったカヅミ草の汁と睨めっこしていたユンジェは、ティエンの笑顔を横目で見やる。
 幾度目かの台詞を口にする、彼の目は期待に満ちていた。それがとても重たい。もう飲みたくない、なんて口が裂けても言えないではないか。

「俺のために、わざわざ夜の山に入ってくれたんだな。危険じゃなかったか? ティエン」

 取りあえず、話題を広げてみる。ティエンは得意げに答えた。

「色々あったが無事に摘めたよ。それは夜になると光る花で、花畑はとても綺麗だった。元気になったら、ユンジェにも見せてやるからな。さあ、もっと褒めておくれ。私は頑張ったぞ」

 こういうところは、なんというか、子どもというか。偉そうというか。身分の高い人間だな、と思う。

 素直に「ありがとう」や「すごいな」、「頑張ったな」というと、彼はたいへん上機嫌となった。当然のことをしたまでだと言いつつ、笑顔が絶えない。

 そして、なぜであろう。
 傍で聞き耳を立てているハオが、遠い目であさっての方を見ている。どうも『色々あった』というところに、思うことがあるらしい。後で聞いてみようか。

「だったら、俺も褒められるべきだな。なにせ、そのカヅミ草、俺と“ティエン”さまが遭難しながら摘んだものだから」

 カグムの能天気な一言が、小屋の空気を凍らせる。いや、凍らせたのはティエンだが。たいへん不機嫌となった彼は、ぎろっとカグムを睨み、無言となってしまう。

 それを飄々と笑って流すカグムは、「本当のことでしょう?」と言ってからかった。小屋の中は真冬となる。ああ、外の方が暖かそうに見えて仕方がない。

 ユンジェは意を決して、苦い苦いカヅミ草の汁を飲み干すと、ちょいと咳き込んだ後、ティエンに微笑んだ。

「ごちそうさまティエン。また、熱が出たら摘んで来てくれよな」

 機嫌を直した彼は、「勿論だ」と言って、ユンジェに笑顔を向けた。

「そうだ、カヅミ草の現物を見せてあげよう。天日干しのものがあるから、少し待ってなさい」

 小屋を出て行くティエンの後を、カグムが颯爽と追う。見張りとしてついて行くようだが、双方の様子が妙であった。

 一切言葉を交わしていないのに、視線が合うだけで、殺伐としたものになる。以前よりも険悪な仲になっているのは、一目瞭然であった。

 二人がいなくなった瞬間、兵達が重いため息を零す。三人が三人とも嘆かわしい顔をしていた。あの空気の被害者なのだろう。

「クソガキっ!」

 ユンジェはハオに懇願される。


「頼むから、お前はもう死に掛けるんじゃねーぞ。王子の機嫌を直せるのは、お前だけなんだからな。俺は気付いた。ガキの存在が、どれだけ俺達に平穏を齎していたのかを。いいか、絶対に死ぬな。死んでも生き返れ!」


 無茶を言う。


「え、あ、うん……ごめんな? 俺が寝込んでいる間、なんか遭った?」

「カグムだ。カグムが全部悪いんだ。くそっ、あの野郎。面倒を起こしやがってっ! 遭難した夜から、何かとピンイ……じゃね、ティエンさまと火花を散らしやがる。空気が悪いったらありゃしねえ!」


 王族の不機嫌に当てられるのはごめんなのに、ハオが歯ぎしりをした。ユンジェはきょとんとした顔で尋ねる。

「ピンインをティエンと呼ぶようになったのは、なんで?」

「カグムの提案だ。素性を隠すために、旅の間はティエンさまで統一するんだと」

「まあ、その方が良いだろうね。ピンイン王子って、聞く人から聞けば、すぐに誰のことか分かるだろうから」

 それにしても、この時機に呼び名を変えるとは。遭難の夜、なにか遭ったのだろう。ユンジェの知らないところで、ティエンが傷付いていないと良いが。

 空っぽになった木の器を見つめていると、ハオが寝台に腰掛けてくる。
 彼は器を取り上げるやユンジェと向かい合い、上半身だけ衣を脱がせて、肩の包帯を解き始めた。

 まだ汚れていないのに、もう替えるのか。
 彼に尋ねると、「当たり前だ」と、ぶっきら棒に返された。

「人間は寝ていても汗を掻く。汗は菌を繁殖させる。それが傷口に入ってみろ、またカヅミ草を摘まなきゃなんねえ。お前のせいで俺の仕事が増えているんだ。さっさと完治しやがれ」

 悪態をつくハオは、なんだかんだ言いながら、ユンジェが完治するまで面倒を看てくれるようだ。

 初対面の印象はお互いに最悪であったが、今なら彼の良い点も挙げられそうである。

 それに、なんだろう。
 ハオには大きな借りがあるような気がする。憶えていないのに、とても大切なことを教えてもらったような気がする。

「クソガキ」

 そろそろ、名前で呼んでくれてもいいのでは。内心、不満を抱きつつ、返事をすると、彼は真顔で見つめてきた。


「お前の身は懐剣じゃねえ。それを絶対に忘れるなよ。王子の心を守りたいならな」


 どうしてそんなことを。戸惑うユンジェに、ハオはもう何も言わなかった。
    
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