黎明皇の懐剣



(あいつのことだから、薪を持ち上げる時に落としたんだろう)


 木の束のどこかで懐剣を引っ掛け、落としたに違いない。

 非力な彼は、運ぶことに一生懸命になって気付くことができなかったのだろう。

(一番に力を使うところは、薪を持ち上げる瞬間だ。この辺りに落としていそうなんだけど)

 両膝をついて草を掻き分けていると、強い胸騒ぎを感じた。それは誰かに呼ばれているような、強いざわめきであった。息が詰まりそうだ。

 ざわめきに(いざな)われる。手足が勝手に動き、夢中で草を掻き分ける。

「見つけた」

 ティエンの懐剣を見つける。
 大きな黄玉(トパーズ)で彩られた鞘を見つめ、震える手でそれを拾う。これが己を呼んでいるのだ。この懐剣がユンジェを呼んでいる。

 懐剣を見つけたのだから、はやくティエンに知らさなければ。頭では分かっているのに、ユンジェは柄を握ると、ゆっくりと鞘を引いた。

 驚いたことに、いとも容易く、鞘から刃が抜けていく。以前は力を籠めても、びくともしなかったのに。

 半分ほど引き抜いたところで、頭に懐剣のざわめきが流れ込んでくる。

 そして嵐のように、ユンジェの中に入ると、好き勝手に暴れ回った。無数の針で刺されるような痛みが襲ってくる。吐き気がした。目の前に火花が散り、息が止まりそうになる。

(あっ、頭がおかしくなりそうだ!)

 ユンジェは体を折り、必死に胃液を呑み込んだ。口の中が酸いで満たされる。気持ちが悪い。急いで懐剣を鞘に戻さなければ。

 なのに懐剣は、ユンジェに使命を与えた。はっきりと、自分に伝えてきたのだ。


――汝、吉凶禍福の運命を背負いし天の子に、許されし者。その身が朽ちる時まで、守護の懐剣となることを。麒麟(きりん)の名の下に。


 ああ、これは天の声か。それとも幻聴か。

(鞘から懐剣を抜いてしまったら、きっと、この使命は俺のものになる)

 そんな気がした。

 遠いところで足音が聞こえる。ティエンだ。
 気力を振り絞って懐剣を鞘に戻すと、割れそうな頭の痛みに耐えながら、彼の下へ向かう。

(あっ……)

 森の向こうから歩いてくる、ティエンの姿を捉えたユンジェは、しかとその目で見た。
 彼の周りに、神々しい獣が纏っている。三本の大きな角、黄金の毛並み、鱗のある体。あれは彼が持っていた首飾りで見た、麒麟そのもの。

(なんだ。やっぱりお前、天人なんじゃないか)

 吉凶禍福の運命を背負う天の子、ティエンに力なく笑うと、ユンジェは懐剣を手放し、その場に倒れて気を失った。
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