黎明皇の懐剣


 藁の上にティエンの所有物である美しい衣を置く。それは、彼が着ることのなくなった高価な衣で、いつか売るつもりだと態度で示していた。

(ティエン、悪い。燃やすな)

 衣に木くずを盛って、火打ち石を叩く。

(油があれば良かったんだけど)

 火花が木くずに落ち、小さな火種が生まれる。
 急いで木くずを両手で持って、手の中で振った。やがて火種が火となると、衣の上に落とし、それが衣全体に燃えるよう、何度も上下にはためかした。 

 突き上げ戸から畑の様子を確認すると、藁の中に燃える衣を埋め込む。

 基本的に藁は燃えやすい素材だが、それは乾燥し切った物に限った話だ。水分を含んでいる藁は燃えにくく、炎が上がるまでに時間が掛かる。
 特に稲わらは十分に干さないと燃やしても、上手く広がらない。白煙ばかりが出る。

 毎年藁を燃やして、肥料を作っているユンジェだ。
 その知識を活かし、白煙を起こした。それは瞬く間に、家の内に充満し、突き上げ戸から漏れていく。

 出入り口に立て掛けている(すき)を掴むと、外に出て、慌てふためいたような声を出した。

「げっ、なんだこれ! あいつ、何か料理でも作っていたのか? 家中が煙でいっぱいじゃんか! ティエンの奴、どこに行ったんだよ!」    

 畑にまで聞こえるように腹の底から出した声は、男達の耳に届いたようだ。ティエンに柳葉刀を突きつけていた輩が、様子を見にやって来る。

(よしよし。一人でこっちに来たな)

 家の外壁に隠れていたユンジェは、男が出入り口に立った瞬間を見計らい、(すき)で両膝裏を叩く。

 体が傾いたところで、首の後ろを(すき)の持ち手で殴り、男の背中を蹴り飛ばして戸を閉めた。

「そこでおとなしくしてろ!」

 (すき)を戸の間に挟み、簡単には開けられないよう男を閉じ込める。そして、軒下にぶら下げている芋を紐ごと引き抜き、それを回しながら畑へ飛び出した。

「ティエン、走れ!」

 遠心力で勢いづいた芋を、男達の傍らに待機させている馬の顔目掛けて投げつける。一頭の馬が驚き、天を裂くような声で鳴いて二足立ちをした。
 それにつられて、もう二頭の馬も鳴いて暴れ始める。

 馬に気を取られ、拘束している手が緩んだのだろう。
 ティエンが男達の手を振り払い、双方の顔に土を掛けると、ユンジェの下へ駆ける。

「早く! こっちだ!」

 ティエンの手首を掴むと、二人で森に逃げ込む。背後から男達の怒号が聞こえた。

「くそ。雨がひどくなってきた」

 雨が強くなる。水分を含んだ衣が重くなり、動きにくくなる。視界も悪い。
    
 背後を一瞥すると、ティエンの息が上がっていた。長時間の逃走は難しいだろう。最善の策は敵を撒いて、身を隠すことだが。

(そう甘くはないか)

 馬が走れそうにない、険しい獣道を突き進んでいたというのにも関わらず、追っ手の足音が聞こえる。己の足で追って来たようだ。

「ティエン。その目はやめろよ。怒るぞ」

 追っ手を確認するために後ろを振り返ったユンジェは、ティエンの行き場のない、怒りと悲しみを宿した目に気付き、鬱陶しいと足蹴にした。
 彼は責任を感じているのだろう。ユンジェを巻き込んでしまった己に、情けなさや腹立たしさを感じているのだろう。

 しかし。そんな目をされたところで、この状況は何も変わらない。

「ティエンも考えるんだ。この状況をどうしたら、乗り越えられるか。よく考えないと、俺達は生き残れない」

 ふたたび振り返り、いたずら気に笑う。

「謝るくらいなら、最後まで責任を持って巻き込めよ。俺は最後の最後まで、お前に付き合うさ」

 力なく笑うティエンが、そこにはいた。
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