黎明皇の懐剣



 ◆◆


 ティエンは泣き疲れた子どもに、寝具用の衣を掛けてやる。
 ずいぶんと心労が溜まっていたようだ。自分が別の天幕にいる間、ずっと自責していたのだろう。

 この子は頭が良い。とても考える子だ。
 その分、考えなくてもいいことまで、難しく考えてしまう。これはユンジェの強みであり、弱みだろう。

 子どもの傍に置いている懐剣に視線を留める。

(あろうことか、ユンジェが懐剣を抜いてしまった。この子の運命は大きく変わってしまった。私はお前を巻き込んでばかりだな……と、言ったら、またお前は怒るんだろうな。自分のことでは怒らないくせに)

 ティエンは考える。
 ユンジェが物事をよく考えるように、自分も懐剣を見つめ、よく考えた。

 さて、これからどうするべきだろう。

「ピンインさま。どうか、お戻りください。この天幕は平民が使用する、粗末なものです。王族の貴方様がいるべき場所ではございません」

 待機していたカグムが、頃合いを見計らったように声を掛けてくる。

 他者と共に片膝をつき、恭しい振る舞いをする男の姿に、腹を抱えて笑いそうになった。

 この近衛兵はティエンを『なきもの』にしようとした男の一人。己に刃を向けた者。とどめを刺した者。

 それが、またこうやって頭を下げてくるとは――それも間諜として己を救う側に回ったとは、にわかに信じられないもの。

 その肚に一体、何を隠している。

「なっ。ピンインさま。何をしているのです!」

 カグム達の驚く声を余所に、ティエンは彼等と向き合うと、膝を折り畳んで平伏した。
 王族が平民に頭を下げる行為が、どれほど重く恥辱であるか、彼らは分かっている。

 だからこそ青い顔を作り、戸惑いを見せた。

(これでいい)

 いまの自分に王族の自尊心など爪先もない。
 ティエンは忍び笑いを浮かべ、頭を下げたまま、こう告げる。

「お心遣い、まことにありがとうございます。しかしながら私は農民、卑賎の身。この天幕にいるべき者にございます。どうかユンジェと此処に置いて下さいませ」

「ピンインさま!」


「私の名前はティエン――ピンインは一年前の『あの日』に天上しました」


 呪われし王族の己は勿論のこと、懐剣を抜いた子どもが利用される未来も、容易に想像できる。

 それだけはさせない、絶対に。

 ティエンは両の手から色が無くなるほど、強い力で握りこぶしを作った。
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