黎明皇の懐剣


 ◆◆


「お前は馬鹿だな、ティエン。自分から進んで、農民になろうとするなんて。高い身分にいる方が絶対に得するのに」


 ユンジェはティエンの包帯を替えていた。
 勝負を引き分けに持ち込めたおかげで、今も王族の天幕に留まることができている。

 もっとも、カグムに押し負けたティエンは、自分の不甲斐ない腕に憤りを感じているようだ。仏頂面を作ったまま口を開こうとしない。

 またティエンに押し勝ったカグムは、天幕の外で待機している。

 彼は元々包帯を替えに来たのだが、ティエンが強く拒絶したため、そのお役をユンジェに任せた。

 替え終わったら声を掛けてほしい、と困ったように笑う姿は、到底ティエンの命を狙った者とは思えない。
 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた、優しいカグムしか知らないユンジェなので、命を狙った話が俄かに信じられずにいる。

 しかし。ティエンが嘘を言っているとも思えない。二人の間に一体、何が遭ったのだろうか。

「王族と農民は一緒に寝ちゃいけないんだな。失礼になるなんて知らなかったよ。出逢った頃のお前が、俺を寝台に上がらせなかったわけだな」

 重い空気を晴らすため、ユンジェは思い出話を始める。

 今となっては笑い話だが、彼に出逢った当初は、一つしかない寝台を占領されていたものだ。
 なんで家主の自分が冷たい床で寝なければいけないのだと、あの頃は毎日のように頭を抱えていた。

 あれは単なる我儘でなく、ちゃんと理由があったのだ。

「なあ、ティエン。俺を気遣わなくてもいいんだぞ。お前は俺と違って農民じゃない、王族ってやつなんだろう? だったら、それに戻るべきだと思う。ピンイン王子って呼ぶべきか?」

 古い包帯の結び目を解いていると、ようやくティエンが口を開いた。

「それは一年前に死んだ。いや、殺された、というべきだろうか。ユンジェ、私は王族であって王族ではないんだ。誰もが私の命を狙い、亡き者とする。消えて欲しい存在なんだ」

 ユンジェは生々しい矢の痕を見つめ、彼の言葉を反芻する。
 けれど、一抹も理解ができなかった。分かることはティエンが消えて欲しい存在、ということだけ。

 それについて深く追究したいところであったが、ユンジェは口を閉じることにした。話はすべてを聞き終えてからだ。

「私は麟ノ国第二十代クンル王の血を継ぐ者、第三王子ピンインという。お前に分かりやすく言えば、土地を統べる者の子どもだ。ユンジェ、お前は国というものが分かるか?」

 首を横に振る。町や森は分かるが、国は分からない。

「簡単に言えば、広い土地だな。町や森よりも、もっと広い範囲を指す。お前が生きているこの地は、四瑞(しずい)大陸の一つ、麟ノ国と呼ばれている場所なんだ。そして、その国を統べている者達を王族という」

 四瑞大陸には四つの国があり、それらは各々、瑞獣(ずいじゅう)と呼ばれる霊獣に、守られているとティエン。

 麒麟(きりん)が守護する(りん)ノ国。

 鳳凰(ほうおう)が守護する(ほう)ノ国。

 霊亀(れいき)が守護する()ノ国。

 応竜(おうりゅう)が守護する(りゅう)ノ国。

 この四つを総じて四瑞大陸と呼び、ユンジェがいる場所は(りん)ノ国だと説明してくれた。
 その中に、ユンジェの暮らす森や町が含まれているのだという。

 聞き慣れない言葉ばかり並ぶので、理解するのに時間を要してしまったユンジェだが、どうにか話をかみ砕いていく。そして、なるほど、と一つ頷いた。

「つまり。麟ノ国は王族のもので、それに森や町、畑が含まれているんだな。地主よりも、ずっとずっと偉いんだな」

「ああ。そんなところだ」

 ティエンは語る。
 麟ノ国第三王子として生まれた自分は、呪われた王子として周囲から疎まれ、忌み嫌われていた。幼少は離宮で幽閉状態であった、と。

「私は呪われていた。生まれたその瞬間から」

 代々王族はこの世に生を受ける子のために、麒麟の体毛に似た黄玉(トパーズ)を捧げる。

 それは国を守護する麒麟への貢ぎ物。受け取った麒麟は己の霊気を黄玉に宿し、国を統べる王族に加護を与え、それを預ける。

 そして、この世を去る時に、黄玉を麒麟に返上するとされている。

 ティエンもそうなるはずであった。

「しかし、私が誕生した時、捧げた黄玉は砕け散ったそうだ。幾度繰り返しても同じ。加護は与えられなかった。周囲は恐れた。この子どもは麒麟の逆鱗に触れているのだと」

 ティエンが誕生してからというものの、国に不幸が続いた。

 雨量不足による渇水。それに伴った大飢饉。流行り病の多発。貧しい土地では戦が起きるようになり、国内は荒れた。

 いつしか皆が皆、口にするようになる。この子どもは国を亡ぼしかねない、と。

 幽閉されて育ったティエンは、いつ処刑されてもおかしくない状況下にいた。国の内情が父王の怒りに触れたのだ。これのせいで国は不幸になる。それが口癖だった。

 なおも、処刑されなかったのは、得体の知れない呪いを恐れたからだ。

「私が病になる度に、周りは喜んだものだ。早く死んでくれと、陰口を言われたよ。だが、私はしぶとかった。体が弱いくせに、いつも生きながらえる」

 表向きでは優しく接してくれる侍女達も、守る近衛兵達も、陰ではティエンを恐れ、早くどうにかしてくれないかと口ずさんでいた。皆、ティエンの死を望んでいた。
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