黎明皇の懐剣

 あるいは他国と交流を図るために、ありったけの生糸を集めて献上するか。

 どちらにせよ、養蚕農家にとって大きな痛手な話。
 半分も生糸を取られてしまうだなんて、生活苦は回避できない。

 しかも来年からとは、また急な話。税を上げるには、国民の生活と収穫量を見なければいけないため、それなりに年を要すると学んだのだが、これは勅令だろうか。

(他国との溝が深まったか。それとも他国の文化や技術に目をつけ、献上の約束を取り付けたか。何を考えている、父上……急な税の引き上げなど、国民の反発は避けられないだろうに)

 国民が倒れてしまえば、国は崩壊する。いくら愚王でも、そのくらいの頭はあるだろうに。

「税引き上げにまつわる、不穏な噂を耳にしている。西の白州では、農民による暴動があったそうだよ。鎮圧され、みな腰斬刑にされたそうだけど」

 腰斬刑。
 それは腹部を両断させる死刑のひとつだが、斬首よりもひどく、即死できないため苦しみも強い。よほど重い罪の人間でなければ、執行されないのだが、ああ、想像するだけでも痛々しい。見せしめなのだろう。

 しかも運が悪いことに、西の白州は王妃の嫡男リャンテ王子が任されている領土。好戦的で残虐性の強い男の目に付けられたのならば、腰斬刑もあり得る。

(離宮を出て、はじめて分かる。麟ノ国は平和とかけ離れた、支配国だ)

 顎に指を当て思案に耽っていると、ジセンがそっと話を切り出してくる。

「じつは不穏な噂と一緒に、こんな話も耳にしている。ここ南の紅州に、西の白州第一王子リャンテの兵と、東の青州第二王子セイウの兵が派遣された、と」

 息が詰まりそうになった。
 まさか、兄達の兵が紅州に派遣された、だなんて。揃いも揃って、呪われた王子の首を討とうと考えているのか。

「各々兵は子どものいる家を訪問しているそうだよ」

「子ども?」

「ああ。十二から十五の男子がいると、兵に連れて行かれ、一か所に集められるんだ。そこで酷いことをされるのかと思いきや、あることをさせられるだけ。みな、兵のすることを不思議がっている」

 十二から十五の男子を集める。良い予感はしない。

「連れて行かれた子ども達は、各王子の麟ノ懐剣を前にし、兵達の前でそれが抜けるかどうかを試される。抜けなければ、無事家に帰されるそうだ」

 麟ノ懐剣を、庶民の子どもに抜かせている。両兄が?

 ティエンは混乱した。なぜ、そのようなことを。
 あれは命の次に大切な物。自分でさえ信頼する者にしか触らせていないというのに、自尊心の高い兄達が市井の子ども達にそれを触れさせているなんて。

 と、ジセンが控えめに尋ねる。

「麟ノ懐剣とやらは、王族にしか抜けないんだよね?」

「え、ええ……」

「でも君の懐剣は、農民のユンジェが持っている。彼はティエンの懐剣を抜けるわけだ」

「はい。あの子は麒麟に使命を授かったので」

「そういう事例は、今までにもあったの?」

「稀に王族以外の者が、懐剣を抜くことがあると記録に残っております。抜いた者は麒麟に使命を与えられた者だと、所有者に関わる使命を麒麟から授かるのだと」

 しかし、実際に使命を与えられた者はごくわずか。残っている記録も数少なく、本当に実在したかどうかも怪しい。それだけ遥か昔の話になる。なのに、まさかユンジェが己の懐剣を抜くとは。

 そこでティエンは血の気を引かせる。まさか。

「たしか王妃の嫡子リャンテ王子と、第一側妃の庶子セイウ王子は王位継承権を争っているよね。僕が彼らなら、喉から手が出るほど欲しいよ――懐剣を抜いた、麒麟の使いを」

 所有者に関わる使命を、麒麟から授かる者。
 麒麟の命を受け、所有者を守る者。

 そんなものが傍にいたら、周りはどう思おうか。この方こそ、次なる君主の器だと賛美されることだろう。

「今は子ども達に懐剣を抜かせているようだけど、それもすぐ終わるだろうね。王子達はこう思っているんじゃないかな。まこと麒麟の使いに相応しいのは、呪われた王子ではない、自分だと」

 麒麟の使いを見つけ出して殺す、なんて無粋な真似はしない。
 なにせ、瑞獣に使命を授かった者なのだ。それを殺すなど、天の麒麟に歯向かうようなもの。天誅は誰でも怖い。

 ではどうするか。
 現所有者を殺し、新たな所有者となればいい。ジセンが王子達ならばそうする。


「ティエン、心するんだ。君の懐剣となったユンジェは、多方面から王族に狙われる存在だと。王権争いに必ずや巻き込まれる存在だと。君の父であるクンル王も、もしかするとあの子を狙うやもしれない」


 眩暈がする。頭が痛い。呼吸を忘れそうだ。ティエンは宙を睨み、動揺を抑えようと必死になった。

(将軍タオシュンは討った。しかし、取り巻きの兵はユンジェが懐剣を抜く姿を見ている。王族の耳に入らない筈がない。父を筆頭に、獰猛な兄上達にも知らせはいく)

 分かっていた。子どもが懐剣を抜いた時点で、過酷な運命に巻き込んでしまったということは。分かっていたはずなのに。
 改めて諭されると、事の重さが両肩にのしかかってくる。

「大丈夫かい? 顔色が悪い。お茶を持ってこよう」

 膝を悪くしているにも関わらず、ジセンはティエンのために烏龍茶を湯のみに注いでくれる。

    
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