その男


 主婦歴四十年の母はあっと言う間に1Kの部屋を別人の部屋へと変貌させた。

 母は大きく膨らんだリュックから食材を取り出すと、お湯を沸かすぐらいしか使ったことのないキッチンの前にしばらく立ち、コンビニ弁当やインスタント食品しかのったことのないテーブルに、実家の手料理をところ狭しと並べた。

 母、スゴシ。

「あんたちゃんと会社行きようとね」

 口の中に詰め込んだ筑前煮を茶で流し込む。

 うまい。

「行きようよ、当たり前やろうが」

 母は両手で包んだ湯呑みをずっと啜った。

「あんた結婚は?そろそろせないかんやろ」

 大人になってからというもの、母はぼくの顔を見ると小言ばかり言う。

 地元に残っている弟二人が早婚で、もう子どもまでちゃっかりいるせいだ。

 東京では三十過ぎて独身の男などごまんといるのに、実家ではぼくはまるで行き遅れ扱いだ。




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