不器用王子の甘い誘惑
「俺の席、ここに決まりました。」

 当然のように紗良の隣に座ると、少し驚いた顔をした。
 それを見ないふりをして、周りの人に「ご指導お願いします」と挨拶をした。

「天野さんもよろしくね。」

「はぁ。よろしくお願いします。」

 個人別のノートパソコンを机に置いた。
 設定なんかはしてくれてあるらしくて電源コードをコンセントに差して、LAN配線にケーブルを繋げば完了だ。

 パソコンを立ち上げて仕事を……している。しているけど、心は紗良と周りの関係性に目が行っていた。

 紗良は親しみやすいのか、男性受けがいいみたいで、なんでもない話をわざわざ紗良にしに来ている奴らがたくさんいる。
 資料を取りに行った帰りに、休憩室から戻った帰り。

 それに丁寧に返してるものだから、仕事が進まないわけだ。
 憩いのオアシスになっているのだろうから、俺がとやかく言えることじゃないけど。

 そして何人かは「紗良ちゃん」と親しげだった。
 ………俺がとやかく言えることじゃない。

 午後の仕事が始まると昨日の厚かましい先輩がやって来た。

「ねぇ。紗良。
 この仕事、紗良が得意だったよね?」

 紗良が返事をする前に俺が横から口を出した。
 これがしたくて紗良の隣の席を希望したようなものだ。

「俺がそれやりましょうか?」

 目を丸くした先輩は俺がいるとは知らなかったのか、話しかけられると思っていなかったのか……。
 上擦った声でしどろもどろの返事をした。

「そんな……。
 松田さんにやってもらうような仕事じゃないし。
 ね。紗良がやれるでしょ?」

 まだ押し付けるつもりかよ。
 俺にやってもらう仕事じゃないって、じゃ紗良じゃなくて自分でやればいいじゃないか。

「それじゃまた紗良さんと残業ですね。」

 目を白黒させて困っている紗良は答えられずにいる。
 先輩も目を丸くして戸惑っているようだ。

 出過ぎた真似なのかもしれない。
 紗良のことになるといつもの自分が出せなくなる。
 いつもの俺ならそれなりに上手く立ち回れるのに。

「紗良さんって……。
 いえ……。だ、大丈夫です。
 私、ものすごくこの仕事得意だったけど、紗良がやりたいかな〜って思っただけですから。」

 よく分からないことを言って、先輩は帰って行った。
 とりあえず良かったと胸を撫で下ろしていると紗良が隣でごにょごにょ言っている。

「紗良さんって……天野さんって……。」

 あぁもう命がなくなった……とよく分からないことまでぶつぶつ言っている。

「あの先輩が『紗良』って言ってたから。
 紗良さんならいいでしょ?
 それとも紗良が良かった?」

「天野さんで!」

 紗良は変わってしまった。
 俺はそんな紗良をなんだか、からかってしまうんだ。




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