極上スイートオフィス 御曹司の独占愛


もう、彼の中ではとっくに過ぎたことなのだ。
私だけが、意識していても仕方ない。


そう自分に言い聞かせ、店舗から来ていたファックスに目を通し始めた時。


視界の端、私のデスクのすぐ横をダークグレーのスーツが通り過ぎたのが見えた。
鼻腔を擽るシトラスの香りに、息を飲む。


……香水、変わってない。


香りだけで、懐かしさに胸の奥を掴まれたような気がして。
今、顔を上げてはいけない、そうわかったのに、どうしようもなく視線が誘われる。


踏み止まれず、そっと、通り過ぎていった先を追うように上半身を振り向かせた。


どくん。
痛いくらいに大きく、心臓が跳ねた。


長身細身の立ち姿が、オフィスの出入口近くでこちらを振り向き、私をじっと見ている。
息さえも止まるほど、私は動揺して目をそらすこともできなくなった。


笑みを浮かべている唇が開き、声を発するその瞬間まで、まるでスローモーションのように長く感じる。


「吉住さん」



艶のあるバリトン。
突然名前を呼ばれ、条件反射で立ち上がる。



「は、はいっ?」



キャスター付きの椅子が、勢いよく立ち上がった拍子に私の膝の裏に押され弾かれたように後ろに滑った。



「わわっ!」



慌てて椅子の背凭れをつかんでそれを引き止める。

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