太郎と与ひょうと引き寄せの法則
 桃はとある神社の賽銭箱に、いままさに賽銭をいれ、胸の前で両手を合わせたところだったのだ。桃は男の言うように、確かに迷っていた。というより、もやもやしていた。果たして前向きな願い事を告げられるのか、そればかりを考えていた。心が後ろ向きとの葛藤に囚われていたせいか、桃は人の気配を感じなかった。雨音が雑音をかき消していたとはいえ、この人はどこから現れたのだろうか。
「思い込みって、意外と重要なんですよ。たとえば、こんな話があります」
 男は雨音にかき消されない、少し高めのよく通る声で、話し始めた。どうでもいいが、桃は、二礼二拍手一礼の、一礼をまだしていない。
「以前、ある若い男が、仮に甲としておきましょうか。甲が海辺をあてもなく歩いていたんです」
「はあ……」
「そうしたところですね、小学生くらいかなあ。二、三人の子供がですね、カメをいじめていたんですね」
 カメ。
「正義感の強い甲はですね、子供たちを諭して、カメを助けてあげた。するとカメは感動して、お礼に、甲を竜宮城に連れて行ってくれたんです!」
 男は、力強い口調で、そう力説した。力説という日本語は、ここでは間違っているのかもしれないが、力説という言葉ぴったりの力の入れようだった。
 それにしても、それは、日本人ならほぼ間違いなく知っている昔話「浦島太郎」ではないだろうか。
 もしかしたら、浦島太郎の話と見せかけて、男が独自のアレンジを加えたオチを用意しているのかもしれない。桃は口を挟まずに聞くことにした。
「竜宮城は、それは楽しいところでした。飲み放題食べ放題、綺麗な乙姫様はい(、)放題(、、)。まあ、ただでキャバクラ三昧みたいなものですよ。そういうところにカメは連れて行ったんですね。こう、背中に乗せて、海の深いところにね。いや、どうやって水中で呼吸するのかとか、深海の水圧に耐えられるのかとか、そういうことは聞かないでくださいよ。僕にもわかりませんから。竜宮城で、もちろん甲は楽しんだ。楽しみに楽しんだ後、ふと我に返り、こう考えた。こんな事を続けていたら、俺はダメになる……。そして乙姫様に頼み込むんですね。元の世界に戻りたいと。なんでも思い通りになっちゃう竜宮城では、もちろんノーはないわけです。乙姫様は長年鍛えられた話術で、『それは寂しい。甲さんが大好きなので、帰って欲しくはないが、どうしてもとおっしゃるなら、涙ながらにお見送りいたしましょう。これは、せめてものお土産の玉手箱です。決して開けないように』甲は後ろ髪ひかれながらも、玉手箱をもって元の地上世界に戻る。そしてまんまと玉手箱を開けて、白髪のおじいさんになってしまった、とさ」
 男はドヤ顔で、語尾だけ昔話風に話を終えた。結局オチも、昔話「浦島太郎」と同じだった。桃は、竜宮城のカメ並みの大人な対応で、「なるほど」と、笑顔で頷いた。
 気をよくした男は、「こんな話もあります」と、にやにや顔を誤魔化すように明後日の方向を見ながら話を続けた。
「昔あるところに、一人の貧しい独身男が住んでいた。名前を仮に乙としておきます。乙は、罠にかかった鶴を助けて逃がしてあげた。しばらくすると、乙のもとに一人の美しい女性が訪ねてきます。その女性は言います。『あなたのお嫁さんにしてください』乙にもちろん否はありません。その女性は、美しいだけでなく、良妻で、しかも彼女が織る着物は美しく、高い金でよく売れました。ただし、彼女は機を織るに際し、一つ条件を付けます。機を織っている間の姿は、絶対に見てはならないと。乙はそんな生活に満足していましたが、ある日友人にそそのかされて、こっそり機を織る妻の様子をこっそり覗いてしまいます。するとそこで機を織っていたのは、愛する妻ではなく、あの時助けた鶴でした。乙に姿を見られた鶴は、空に飛び立っていきました、とさ」
 男は、また語り部風に話を締めた。その話は、鶴の恩返しだ。夕鶴だったかもしれない。
 男は自分の鼻先に指を一本立てると、その指先を見つめながら言った。
「この二つの話って、似ていると思いませんか?」
 確かに。
 特に掘り下げて考えたことはなかったが、そういわれてみれば話の構成がほとんど同じだ。
「実はこの二つは日本の民話、いわゆる昔話なんですがね。この二つの物語から、さっき僕の言った思い込みの話につながるんですが、僕の言わんとしていること、分かります?」
 分かります? と、言われても……。
 男は、じわりじわりと距離を縮めてきた。分かりきったことを「実は」と言われた時点で、桃はかなり白けていた。
 第一印象の、原因不明の男に対する興味は薄らいできていたが、あまりにもキラキラした目で問われたので、桃も人として真面目に答えてあげることにした。
「そうですね。良いことをしたことによって甲も乙もご褒美をもらった。だけど調子に乗って禁忌を破ってしまったから、バチが当たったとか、そういうことなんじゃないですか?」
「そう、それ! それが、平凡な日本人の単純発想なんですよ」
 男は鼻先に触れんばかりの勢いで人差し指を突き出し、犯行を暴く名探偵のような気迫でそう言った。
 桃は顎を引く。さすがに、むっとした。
「そういう教訓の昔話じゃないんですか?」
 おめーこそ、どう見たってバリバリの平凡な日本人だろ! という心の声はぐっとこらえた。
「正式な答えは知りませんけどね。すいません」
 桃の、苛立ちが伝わったのか、男はぺこりと頭を下げた。なんというか、素直な人だ。
 男は飼い主のご機嫌を窺う犬みたいな上目遣いで桃を見ながら続けた。
「甲も乙もね、善行を行ったあとは、きっとこう思ったと思うんですよ。『俺は良いことをした。こんな良い自分には、きっとご褒美があるはずだ』と。そして子供のような純粋な気持ちで、それを信じた。そうしたら実際にその通りになった。たそして幸せな日々が続いた。その中でふと不安になる。『こんなに幸せでいいのだろうか……』と。まさに日本人的発想です。良いことが続くと、悪いことが起こるのではないかと思ってしまうのは、災害の多い日本に住む我々独特の感性らしいですが……。するとその思いに引き寄せられるように罠が仕掛けられる。甲も乙も吸い寄せられるようにその罠にひっかかり、まんまと禁忌を破ってしまう。そして思う。『ああ、俺は悪いことをしてしまった。きっとバチが当たるに違いない』と。そして、それが現実になる」
「……」
 桃は不覚にも、ちょっとおもしろいなと思ってしまった。なんか感心してしまった。この時点で、男を見下していたので、心理的抵抗はあったが。
「ね。思い込みって、大事でしょう?」
 男は、晴れ晴れとした笑顔で(笑顔が、割と桃の好みだ)、そう結論付けた。
「甲も乙も、最初に見せた、あほみたいに単純な楽観主義を発揮して、『俺っていいやつだから、きっと一生幸せだな』って、思っておけばよかったのにね」
 桃もつられて笑った。男の笑顔には、相手も笑顔にしてしまう不思議な魅力があった。なんだか心がほっこりした。二人でひとしきりニコニコした。その後、男は桃の顔を見つめたまま言った。
「ところで、あなたの思い込みって、どんなことなんですか?」
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