【長編】戦(イクサ)林羅山篇
後水尾天皇と和子
 和子は婚礼の儀が終わると御殿
にこもった。
 後水尾天皇が和子の側に仕える
女官に様子を聞くと源氏物語の絵
巻を広げて見ていると言う。
 天皇は狩野探幽が書き上げたと
いう二百巻にもおよぶ源氏物語の
絵巻を和子が持参したことは聞い
ていた。ぜひ見たいとも思ってい
た。望まない入内だとしても、こ
のまま会わないわけにもいかな
い。そこで御殿に向かった。
 天皇が御殿に入ると和子は源氏
物語の絵巻を何巻も座敷に無造作
に広げ、あどけない顔で見てい
た。絵巻は黄金に輝き、座敷や和
子の顔にもその輝きが照り返して
いた。
 天皇が立ち尽くしているのに気
づいた和子は慌てて平伏した。
「和子と申します。不束者にござ
いますが、幾久しく、よろしくお
願い申し上げます」
「見てよろしいですか」
「はい」
「この絵巻物です」
「あっ、はい。これらはすべて帝
の物にございます。どうぞご覧く
ださい」
 天皇は和子の側に座って絵巻を
興味深そうに見た。その天皇の横
顔を見た和子は小声が思わず出
た。
「良かった」
「何ですか」
「いえ、すみません。父上から帝
は神様だと聞かされていました。
私は不動明王様のような怖いお顔
の神様だと嫌だなっと思っていた
のです。それがお優しそうな顔を
しておられるので、ほっとしたの
です」
「そうですか。神様ですか。しか
し今は名ばかりの神。そなたのお
爺様が権現様におなりになり、影
が薄くなりました」
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