【長編】戦(イクサ)林羅山篇
明の滅亡
 寛永二十一年(一六四四年)
 道春は家光から国史の編修を命
じられた。
 国史は神武天皇から始まる日本
の歴史を書き記していこうとする
もので、徳川家を中心とした武家
社会の存在を強調するものだっ
た。
 さっそく道春は春斎に神武天皇
から持統天皇までを、守勝に文武
天皇から桓武天皇までを起草させ
ることにした。
 この年、明を窮地に追い込んだ
清の皇帝、ホンタイジが病死し、
六歳のフリンが跡を継いで皇帝と
なる混乱の隙をついて農民が反乱
を起こし、指導者の李自成が明の
守る北京に侵攻して陥落させ大順
を建国した。しかしすぐに清は大
順を攻め、これを滅ぼした。
 こうした最中に明の使者が日本
に援軍を求めてやって来た。
 家光は重臣を集めて協議した
が、まだ大飢饉から立ち直ってお
らず、国外に出兵させるだけの余
力はなく断るしかなかった。
 二百五十年以上続いた明もここ
に滅びた。
 家光はあらためて天下泰平を持
続させることが困難な事業だと悟
り、内政の問題解決に専念するこ
とにした。
< 239 / 259 >

この作品をシェア

pagetop