【長編】戦(イクサ)林羅山篇
帝の家臣
「わしや秀忠は帝の家臣にすぎ
ん。この国の君主は帝であろう」
「お恐れながら、帝は天照大神が
この地に現れたお姿であり、天そ
のものにございます」
「そうだとしたら今までの君主は
帝が決めたことになるが、そのよ
うなことは信長公や秀吉公の時に
はなかった。わしとて同じこと、
秀忠に位を譲ったのはわしの意思
じゃ。それを後で位を認めるとい
うやりかたは天ではなく、家臣を
束ねる君主のごときじゃ」
「しかしそのようなこと帝がお認
めになるでしょうか。この世が認
めるでしょうか」
「そこじゃ。今は秀忠と秀頼のど
ちらが君主かはっきりしない君主
不在の状態じゃ。こうしたことが
起きたのは帝が天ではなく君主で
あり、君主が家臣を束ねる徳がな
いからじゃ。それを帝に悟らせ、
自ら位を譲らせたいのじゃ」
「もしや、大御所様は君主に仕え
る家臣の地位を代々、受け継ごう
とされているのですか」
「そうじゃ。徳川は武家の頭領と
して帝に仕え、政務をおこなって
いるにすぎん。けっして信長公や
秀吉公のように君主のごとき振る
舞いをすることはせん」
「ははっ。恐れ入りました」
 道春は家康の知略のすごさを思
い知った。それから間もなく、後
陽成天皇は四十一歳という若さに
もかかわらず、十五歳の第三皇
子、政仁親王(後の後水尾天皇)
に位を譲ることになり、京でおこ
なわれる即位の礼に行く家康に道
春も同行した。しかしこれは嵐の
前触れにすぎなかった。
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