【長編】戦(イクサ)林羅山篇
あらぬ方向
 崇伝は南禅寺金地院を開いてい
たてまえ、南禅寺の長老である清
韓に軽く会釈した。しかし清韓は
表情を変えず目を合わせなかっ
た。
 正純は険悪な雰囲気に弱り顔に
なり話を続けた。
「こたびは方広寺の梵鐘のことで
問いたいことがありご足労いただ
いたのですが、それはこちらの思
い過ごしでした。このことで大御
所様には何の疑念もないというこ
とです。しかし、こうしたことが
起きるのはお互いに行き来が乏し
く、心を通わせることができない
からではないかと大御所様は嘆い
ておられます。そこでじゃ。秀頼
殿には駿府の近くに移ってもらい
たい。そうお伝え願えまいか」
 且元は徐々に威圧するような正
純の言葉に身をすくめながら答え
た。
「おおせのことはごもっともと思
いますが、それならば秀頼様か淀
殿が度々、駿府に赴けばすむので
はないでしょうか」
「おお、それもよい考えじゃ。だ
がな、問題はそれだけではないの
じゃ。今、ようやく朝鮮との交流
が始まり、関係が修復されつつあ
る。いずれは明との交流も再開し
たいと思っておるのじゃが、秀頼
殿が大坂城においででは何かと不
都合なのじゃ。そのことを表向き
の理由にすれば朝鮮出兵した諸大
名に不満が芽生えよう。それはな
んとしても避けたいのじゃ。この
ことは内密で何とか説得してもら
いたい。このとおり、よろしく頼
む」
 正純は深々と頭を下げた。
「ははっ。この且元、微力ながら
最善を尽くしてまいります」
 且元は正純よりもさらに深く平
伏した。
 清韓と崇伝はあらぬ方向に話し
がいき、立場を失って気が抜けて
いた。
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