ハニートラップにご用心

「そういえば聞いた?」


仕事がほとんど終わってしまい手持ち無沙汰になった先輩が声を抑えようともせずに口を開いた。

恐らくこの場にいる事務員全員に向けて世間話をしたいんだろう。コピー機が次々と紙を排出するのを見ながら、私はそちらに耳だけを傾けた。


「土田さん、海外に転勤になるらしいわよ」


その言葉に、一瞬自分の耳を疑った。
土田さんが……なんて?


「あー、絵に描いたような出世コースかぁ。さすが営業部の不動のエース」

「あ、あの……!」


いつしかのデジャブ。

私は勇気を振り絞ってこの話題を切り出してきた先輩の元へ行き、声を上げた。まさか勢いよく食いついて来る人がいるとは思わなかったのか、先輩は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして私を見た。


「ど、どういう、ことですか……?」

「あら?桜野さんなら聞いてるかと思ったんだけど」


人事部の方から正式に辞令が出たらしく、土田さんは年明けしばらくしてからアメリカの支社に転勤になるということで、本人も同意をしているそうだ。

二ヶ月程前から通告を受けていたらしいが、もちろん私はそんなこと一切聞いていない。

来年あたり柊くんも出世コースに乗りそうじゃない?などと会話に花を咲かせ始めた先輩達をよそに、私は今までに感じたことのないほどの頭痛に襲われていた。

土田さん、一体何を考えているんですか……?



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