ずっとキミが好きでした。
「明日音くん?!」






私は驚きの余り大声を上げた。


それと同時に、トメさん家で飼っているであろう犬の遠吠えが耳を通過した。


犬に気を取られている間に明日音くんが私の目の前までやってきた。





「家まで送ってく。ここらへん街灯少なくて危ねぇし」






「今日は優しいんだね」






「なんだよ、今日は、って」






「ごめん、ごめん。明日音くんは“いつも”優しいね~」






フンっと鼻を鳴らしながらも、明日音くんはちゃんと雪道をエスコートしてくれた。


私が歩きやすいように私の三歩前を歩く明日音くんの背中が、今までよりはるかに大きく見えた。


あの日の告白以来、一度も顔を合わせていなかった私は、終始無言で明日音くんの後ろを慎重についていった。







お互いに一言も口にせず、雪を踏みしめる軽い音だけが辺りに響く。
















ーーどうしてここに居るんだろう?














ふと疑問に思った。


今日はなっつんとクリスマスデートのはず。


イルミネーションはまだまだこれからなのに、こんなところに居て良いのだろうか?


しかも、私もここに居て良いのだろうか?






私は…会いに行くんだ。


大切な両親に。






私が回れ右をした













その時ーー。














「いっ、たー!」





私はフィギュアスケート選手にはなれないらしい。


回れ右さえも出来ずに転倒してしまった。


かじかんだ右手で、強く打ちつけたお尻をさすっていると、私の目の前に大きな手のひらが出現した。





顔を上げると…ーー目があった。






「翼はホント、バカだよな~。…ほら、立てるか?」






皮肉がこもっている物言いに腹が立つものだが、私の神経は明らかに麻痺していた。


寒さも忘れて顔が熱くなり、おどおどしてまばたきの回数が極端に増えた。


差し出された手のひらを呆然と見つめていると、チッという舌打ちが聞こえた。






私、何かやらかした?







もう一度顔を上げようとすると、私の体は一瞬で奪われた。













ーーえっ…。













何が起こったのか、いやそれは何となく理解出来たけれど、呼吸が出来なかった。


一秒で息を吸って数秒止まり、次の呼吸までが異様に長かった。



 









「明日音…ーーくん…」








ようやく口にしたのは彼の名前だった。



明日音くんの体温が伝わってくる。


2歳の時、泣き叫ぶ私を抱っこしてくれたあの女性の温もりと同質だった。






優しい…





あったかい…







私は明日音くんに体を預けた。





 






「翼」






明日音くんが名前を呼んだ。


私は明日音くんの胸の中で頭を縦に動かした。







「お前が居てくれて、ホント良かった」






「えっ?」







「翼がいてくれなかったら、オレ、死んでたかもしれない。音聞こえなくなって、自暴自棄になってたんだ、オレ」






明日音くんは、つらかったあの数ヶ月を思い起こしていた。


彼のドクン…ドクン…と鳴る心臓の音が聞こえてきたが、正常より少し早い気がした。





「オレから音楽取ったら何にも残らないのに、音聞こえないなんてアリかよって。最悪だ、生きてる価値ねえなって、毎日思ってた。でも、そんな時…翼が来てくれた」






白い軽トラが一台通った。


一瞬のハイビームに目がくらむ。


私たちに目もくれず、軽トラは通り過ぎた。




「最初はうぜえヤツだな、まだ幼なじみ気取りかよって、正直来ないで欲しいって思ってて…。毎日来る宣言したら、ホントに毎日来るし、びっくりした。根性あるっていうか、なんていうか…。とにかく、オレの心は少しずつ変わっていった。翼を、ちゃんと見てあげたいって思うようになった。んで、あの日…ーー翼に告られたあの日からオレは考えた。自分のことばっかで、全然周り見えてなくて、翼の気持ちなんてちっとも考えてなかった。一生懸命、女の子らしくしようって努力してる翼のことバカにして、真剣に考えてこなかったからさ、最初は全然わかんなかった。…でも」






しゃべり続けていた明日音くんが、一呼吸置いた。


私の腕にかかる力がさらに強まった。






「翼が家に来なくなって、学校でも会わなくなって…ーー気づいた。オレにとって翼は…ーーかけがえのない存在だって」






私の瞳は決壊した。


胸に募った、ありとあらゆる感情が一気に溢れ出た。


声が出そうになって、明日音くんの胸に頭をグイッと押し付けた。


私の思いに応えるように、明日音くんは私の背中を優しくさすった。






「翼」







「何?」







「オレの代わりに歌ってほしい曲がある。お前じゃなきゃ…ダメなんだ。それが、オレからのクリスマスプレゼント」







明日音くんがダウンジャケットのポケットから小さな箱を取り出し、私の手に握らせた。






「箱、開けてみて」





凍りそうになっている大粒の涙を、コートの袖で拭ってから、ゆっくりと蓋を開けた。






中身は…ウォークマンだった。


燃え上がる炎のような赤色のそれは、高校生になって私が明日音くんに誕生日プレゼントとして贈ったものだった。


プレゼントしたことさえも今の今まで忘れていたが、明日音くんはちゃんと使ってくれていた。






私たちは、繋がっていた。



切れてなんていなかった。



間に誰が入ろうと、見えない糸でつなぎ止められていたんだ。






「翼がどうしようもないオンチだって知ってる。でも、オレが心込めて作ったこの曲を歌いこなせるのは翼しかいない。オレが自信持って、また歌ってギター弾けるようになるまで、翼の声で、翼の魂で歌ってほしい」






私は溢れ出る涙を必死に両手で拭った。




ーー私に出来ることを精一杯やる。



胸の中で大きな覚悟をした。







「…わかった。私…ーー歌う。明日音くんの気持ち、ちゃんと受け止めて、私…歌うから。たくさんの人たちに届けるから」





私がそう言うと、明日音くんは腕の力を緩めた。


埋まっていた私は体を起こし、鋭い矢で的を射るように、明日音くんを真っ直ぐ見つめた。






「翼のご両親の命日って、今日だよな」





「うん、そうだよ」






両親の顔は、やっぱり思い出せない。


写真を見ても、この人たちが両親なんだなって実感が湧かない。






「ご両親が繋いだ命、大切にしないとな」





独り言のように明日音くんは呟いた。


漆黒の空に、眩いばかりの星が浮かんでいた。


都会と違って少しの澱みもない澄み切った空に、私の両親もまた浮かんでいるのだろうか。


こんな私だけど、ちゃんと見ていてくれているだろうか。







答えは…ーー分かっている。













生きていて、良かった。



クリスマス、迎えられて良かった。







クリスマスが初めて良いものに思えた。


過去の陰湿なイメージは雲散霧消した。












「翼」






















ーーずっとキミを好きでいても良いですか。












柔らかくて、触れるととろけそうな唇が、私の無傷の唇に降りた。













真っ白な粉雪が静かに降っていた。
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