君に捧げるワルツ ー御曹司の恋と甘い旋律ー
Backstage スタンディング・オベーション
声を失う辛さを想像しても、分かるのは想像を遥かに越えて辛いだろうということだけ。


あのエネルギッシュな兄のことだ。今でこそ『物静か』なんて誤解を受けることもあるが、本来とても饒舌で活発な人だ。意のままにならない体は苦痛で仕方ないはずだ。


ましてや、その声が原因で自分の道を歩めなくなる苦しみはどれほどか。


自分の立場から逃げ出したくなってクロスカフェに行く時、俺は言葉を封印した。声が出ないもどかしさを少しはこの身に思い知らせるため。


店でピアノを弾くと、食い入るような視線が背中に張り付いた。まるで生まれて初めて音楽を聞いたかのような稀有な観客。


いつ店に行っても同じ事が起きるので不思議に思っていると、その人は客ではなくてウエイトレスだった。背を伸ばしてトレイを片手に、彼女は誰よりも演奏を心待ちにしていた。


その様子が微笑ましくて彼女を視線で追っているうちに、ピアノを弾きに来ているのか彼女を見に来ているのかわからなくなった。


そして俺は小さな誓いを破り、彼女に声をかけた。
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