直さんと天くん
その後は、ばあちゃんの代わりに家の中を掃除して片付けた。

天くんも手伝うと言ってきかなかったのだが、初っ端から花瓶を一つ割ったので、ばあちゃんと一緒にテレビを見るという任務を与えた。

掃除が済むと、近所のスーパーマーケットへお使いに行った。
これには荷物持ちとして天くんの同行を許可した。

家に帰って来たのは夕方で、買ってきた材料でばあちゃんが豚汁を作ってくれた。
野菜は食べないと言っていた天くんも、ばあちゃんの豚汁に入っている野菜は黙って食べた。
ご褒美だと思って私の豚肉を一つ器に入れてやると、目を輝かせて喜んだ。



日が暮れて徐々に辺りが暗くなってきた頃、ぽつぽつと雨音がして、窓を見ると、外は雨が降っていた。
強い風がびゅうびゅう吹いてきたので、雨戸をしめる。
遠くからごろごろと雷鳴が聞こえる。

「嵐が来るかねぇ…」

ばあちゃんが呟いた直後、薄暗い室内に電話のベルが鳴り響いた。
私は立ち上がって、廊下にある古めかしい黒電話の受話器を取った。

「もしもし?」

受話器の向こうから、ざー…っという、砂嵐のような音がしている。

なんだ…?これ…。

不気味に思って、受話器を置いて電話を切った。
そのすぐ後だった。

ばりばり、と空気を裂くような音がして、どーん!!と激しい音と共に地鳴りがした。

家のすぐ近くに雷が落ちたのだ。

ふっと明かりが消えて、家中が真っ暗になる。停電だ。

受話器を置くのがあと少し遅かったら感電してたかも…怖えぇ…!

辛うじてポケットに入っていたケータイを取り出して、液晶画面の僅かな明かりを頼りにそうっと廊下を歩いた。
ケータイは、圏外でもないのになぜか電波が立っていなかった。

「ばあちゃん!天くん!大丈夫?」

ばあちゃんは返事をしたが、天くんからは返事がない。どうしたんだろう?

てか、ブレーカー落ちたのかな…。
もしそうなら、つけなきゃ。
確か洗面所の壁の上の方にあったはず…。
この暗闇の中を洗面所まで歩くのは至難の技だな…。


「直さぁ〜ん…」

するとそこへ、頭の右側と左側に一本ずつ天井へ向けた懐中電灯をヘアバンドで固定した天くんが現れた。

「うぉわあぁぁ!!って天くんかよ!八墓村かと思ったわ!」
「やつ…?」
「知らないでやってんの!?すげぇな天くん!!」

そうだよな、世代じゃねぇもんな。
いや、私だってリアルタイム世代じゃないが…って今そんなこと考えてる場合じゃない!

とにかく、安全を考えて三人で居間に集まった。
天くんがどこからか見つけてきた懐中電灯二本と、仏壇の蝋燭に火を付けたので、部屋の中が少しは明るくなった。
外からは激しい雨音と風の音、そして雷鳴が聞こえている。


「おかしい…停電にしては復旧に時間かかり過ぎじゃない?ケータイも使えなくなってるし…私、外の様子見てくるから、天くんとばあちゃんはここにいて!」

しっかりしないと…。
私はばあちゃんよりも動けるし、天くんよりも年上なんだから、私がなんとかしないと…。

懐中電灯を片手に居間を出ようとしたら、真っ暗な廊下の奥で、ぼうっと青白い炎のよう光が灯った。

なんだ…?

突然周囲の気温が下がったように感じて、寒気がした。

恐る恐る見ると、廊下の奥、暗闇の中に、亡くなった勝四郎じいちゃんの姿が浮かび上がっていた。

「ひ…っ!?」

目を大きく見開いたまま、体が凍りついた。

「じ、じいちゃん…?」

手の中の懐中電灯を床に落とした。
返事はなく、じいちゃんは無表情で、別人のようだった。
青白い顔で、じっとこちらを見つめている。

まさか、本当にばあちゃんを迎えにきたのか…?

勝四郎じいちゃんは、無言のまま、ゆっくりこちらへ近付いてくる。
その姿に、足はなかった。


「あんた…」


すぐ傍でばあちゃんの声が聞こえて、はっとして我に返った。

いつの間にかばあちゃんも廊下に出ていて、じいちゃんの亡霊に歩み寄ろうとしている。


「本当に、迎えに来たのかい…あんた…やっぱり、怒ってるんだね…私がそっちへ行かないから…約束をしたのに、守らないから…」


震える声で言いながら、足を一歩前へ出そうとするのを、しがみついて必死で止める。
小さくてか弱いばあちゃんのはずなのに、なぜかいつもより力が強い。
じいちゃんの亡霊に吸い寄せられるように体が前へ前へ進もうとしている。


「駄目!行っちゃ駄目だよ、ばあちゃん!」

「けど…けど…向こうは寂しいところなんだよ…きっと…一人でいるのは、辛いんだろう…私が行ってやらないと…約束したんだから、行ってやらないと…」

「約束だろうが何だろうが駄目だよ!絶対にあっちへは行っちゃ駄目!!ばあちゃんが死んじゃったら私や母さんはどうすんの!?残された人のことはどうでもいいの!?」

私の言葉に、ばあちゃんの動きが止まる。

「ごめんね、あんた…あんたが死んで、私もう生きていけないと思ったんだよ…本当にそう思ったんだよ…だけど、一日、もう一日って生きてみて、一年が経って、楽しいことも嬉しいこともあって、まだまだ生きていけそうだと思った…そうやって今日まで生き延びてしまった…ごめんねぇ…ずっと一緒だって約束したのに…私まだそっちへは行きたくないんだよ…自分の人生が愛おしいんだよ…」

「そんなの…それでいいに決まってるよ…!
じいちゃんも!若いときにした約束だか何だか知らないけど、こんな風に道連れにするなんて、絶対間違ってるよ!!
ばあちゃんを愛してるなら、たとえあの世で一人でいるのが寂しくたって、我慢して待つべきでしょ!?
思い通りにいかなくても、辛くても、愛する人が元気で幸せに生きられるように、その人のために願うのが、本当の愛ってもんなんじゃないの!?」

「直さん」

「なんだよ天くん!!今忙しいんだから後にして!!…って、いるじゃん!忘れてたわ!いるんだったら見てないで手伝えよ天くん!ばあちゃん連れてかれちゃうっつーの!」

「でも、勝四郎さんはおばあさんを連れていくために出てきたんじゃないですよ?」

「…へ?そうなの?」

こくり、と頷く天くん。

「おじいさんが出て来たのは、おばあさんが怪我をして、約束のことを気にしてるのを心配したからですよ。
おばあさんのことはずっと見守ってたから、気持ちはわかってるし、あの世はそんなに悪いところじゃない、住み心地もなかなかいいから、心配しないでいいよって言ってます。
約束なんか気にしなくていい。元気で、幸せに、長生きして、こっちに来るのはもっとずっと後でいいよって言ってます。ゆっくりゆっくりおいでって。これは直さんにも。
今まで本当にありがとう。おばあさんと結婚できて、一緒に暮らせて、最後も看取ってくれて、自分は本当に幸せ者だった。本当にいい人生だったよ。
怪我や病気に気をつけて、体を大事に」

青白い炎のような光の中で、じいちゃんがにかっと笑った。
それは生前と変わらない、明るくて朗らかな笑顔だった。


「あと、電球替えてあげられなくてごめんねって」


じいちゃんの姿が青い光の中に溶けるように消えて、その光がまるで蛍のように散り散りになって飛んでいく。
光は壁や天井を通り抜けていって、やがて跡形もなく消えた。

窓も空いていないのに家の中に風が吹き抜けて、仏壇の蝋燭の火が消えた。

暗闇になったのは一瞬で、すぐに電気がついて、室内は明るさを取り戻した。
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