宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「…そうか。それで突然居なくなったんだな」


「…今までご連絡もせず申し訳ありませんでした」


宿屋の角部屋を借りて柚葉から真相を聞いた朔は、自分の不手際で柚葉が突然去ってしまったわけではないと知って
少し胸を撫で下ろした。


「だけど頼ってほしかった。当主になりたての頃で頼りなかったかもしれないけど…」


「いいえ!そんなことは…そんなことはありませんでした。あなたは立派な当主でしたよ」


――突然去る前に真名を明かしていた朔は、柚葉に名を呼ばれてどう感じるかも試していた。

好いた女に真名を呼ばれると痺れるほどの恍惚感に包まれるという。

…だがそれを感じることはできなかったが、真名自体を呼ばれることに何の抵抗もなかった。


現在の柚葉は真名を呼ぶことを頑なに拒み、距離を取ろうとする。

朔はそれが悲しくて、柚葉に手を伸ばした。


「柚葉、今でも遅くない。俺を頼ってくれ。あそこから出してやれる」


「…いいんです。私は私の運命を受け入れます。…姫様を…凶姫を救ってあげて下さい。私のことはいいですから…」


「凶姫もお前も救いたい。俺は当時お前にかなり救われたんだ。だから…」


「…私が何をしたというんですか?」


「え?」


「私は…私は何もしていません。あなたと一夜を共にしたわけでもなければ、ただ傍に居ただけ。あなたは何もしなかったじゃないですか。そんな女に何を救われたというんですか」


つい語気が荒くなった柚葉ははっと我に返って正座したまま後退りすると深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした…」


「いや…いいんだ。柚葉、俺は俺なりにお前を必要としていた。どうしてか知りたいか」


何故あの時あんなに引き留められたのか――その理由を柚葉は知らなかった。

聞いてみたい。

そして口を開きかけた時――


「朔、何をしておるのじゃ。早う来んか」


朔が来ていたことを知った周が突然部屋に入ってくると、柚葉は反射的に逃げるようにして部屋を飛び出して行った。


「お祖母様…」


「朔、関わるなと言ったはずじゃぞ」


ようやく見つけたのに。

また逃げられて、深いため息が出た。
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