いつか羽化する、その日まで

(……あと三十分、かあ)


作業の手を止めて壁掛け時計を確認すると、いつの間にか定時間近になっていることに気付く。

隣からはカタカタとキーボードを打つ音や取引先と電話をする明るい声が聞こえてきて、村山さんの存在を嫌でも意識してしまう。

彼にとって私は、単なる暇潰しの相手でしかなかったかもしれない。世間知らずな大学生にちょっかいを出すことは、新しいおもちゃを手に入れたときのように目新しくて、多少は楽しいと思ってくれていたら嬉しいけれど。

ーーそれも、もうすぐ終わり。

楽しい時間は有限だ。だから、芽生え始めたこの気持ちにはきちんと蓋をしておかなければ。
最後に、余計な爪痕を残したくはない。


「サナギちゃん」


不意に名前を呼ばれて、隣を見る。


「それ、終わりそう?」


村山さんは、私のパソコン画面を指差す。今行っている新規業者の登録作業は、私に与えられた最後の仕事だった。私は画面に向き直り、残作業量と時間をを試算する。


「あっ、はい! えっと……あと十分あれば終わると思います」

「そう、よかった。終わったら声かけてね」

「はい」


最終日に仕事が終わらないという事態は回避できそうでホッとした。ーー本当は、絶対に終わるように最初から作業量を調整してくれていたのだと思うけれど。

気になるのは村山さんが、何かを思い付いたような含みのある笑顔を見せたことだ。私には思い当たる節もなかったため、向けられたその笑顔を疑問に思いながら慎重に入力を続けた。

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