令息の愛情は、こじらせ女子を抱きしめる ー。
ダイヤモンドリング。
 テオドールと心の内を打ち明け合った夜から、一週間ほど経った・・・。
 彼と私は愛し合っていると確信したすぐ後に、彼のお母さんが言った、”テオドールを愛しているのなら・・・”という言葉が頭に浮かぶ。
 私はテオドールを愛しているから、彼の幸せを一番に考えたい・・・。
 じゃあ、私と結婚することは果たして本当に彼の幸せなのだろうか??
 テオドールの私への気持ちは信じられる。
お互いに愛し合っているから一緒にいたい。
 ・・・でも、一緒にいることだけが愛情なのだろうか??
 
 私の中に落とされた疑念の種は芽を出し成長して、時間が経つにつれて次第に私の心を支配していった ー。

 この日、私はフラワーデザイナーとして、雑誌撮影の仕事で世界遺産のモンサンミッシェルを訪れていた。
 ここは、テオドールと私が出会った場所 ー。
 
 ジョエルの店で働き始めたばかりの頃『sourire'dange』の、新作ウエディングドレスの撮影の仕事で、私は、モンサンミッシェルを初めて訪れた。
 パリで昔から花屋を営んでいるジョエルの家とベルナルド家との付き合いは長く、彼と私の出会いは、フラワーデザイナーとしても活躍しているジョエルが、私のフラワーアレンジメントを気に入ってくれ、私をテオドールに推薦してくれたのがきっかけだった。
 撮影当日、テオドールは、初対面の私に丁寧に挨拶をしてくれた・・・。
 「初めまして。佐伯さん。『sourire'dange』の、テオドール・ローラン・ベルナルドです。本日は、よろしくお願いします。」
 この人が、『sourire'dange』の、副社長 ー。
 均整のとれた長身のスタイルにスーツをリュクスに着こなして、見事なブロンドの髪はヘアワックスで斜めに流し、クールな印象に仕上げている。
 そして、鼻筋の通った高い鼻と品のある口元、印象的なスカイブルーの瞳・・・。
 白皙の美青年とはまさしく、彼のような男性を指すのだろう。
 物腰が柔らかくてゆったりとした佇まいの中に、育ちの良さを感じる。
 仕事上の出会いとは言え、私は少なからずときめいた ー。しかし、私などには到底、縁のない男性だと思った・・・。

 ー 明日、私はテオドールと会う約束をしていた。もしかしてこれが、テオドールと会う最後の日になるかも知れない・・・。
 結婚を反対されて以来、私達は、結婚の話題を口にしていない。彼は相変わらず優しくて、毎日欠かさず連絡をくれた。
 私は彼に優しくされる度に胸が痛んだ・・・。一度心に浮かんだ疑念が私の心を捉えて離さなかった。
 テオドールにとっての本当の幸せとは一体・・・。もしかして、私とこうして会うことも、彼にとっては本来不要なものなのではないか・・・??一体、私は明日彼にどんな顔で会えば良いのだろうか・・・??
 やはり、正直に心のうちをさらけ出すべきなのだろうか・・・??
 でも、私は、もう彼の負担になりたくはない。
 
 約束の日、私は捉えどころのない迷いを抱えながら、彼に会った・・・。しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、テオドールは、ハッキリと誠実な態度を示してくれた ー。
 「華那、俺の両親と改めて会ってほしい。」
いつもの物腰が柔らかく穏やかな印象の彼は、なりを潜めて今日の彼からは、一つのまっすぐな芯が通っているような鋭さを感じた。その雰囲気から、彼が強い覚悟を持っていると分かった・・・。
 パリの中心街から少し離れた静かな場所に在るグランドメゾンを貸し切り、テオドールは両親を招いて、結婚について許しをもらおうと話し合いの場を設けていた・・・。
 「お父さんとお母さんに、俺達の結婚をきちんと認めてもらいたいんだ。」
 席に着き早々にテオドールは切り出した。気持ちが先走り、ストレートに核心をついた息子に、両親は怪訝そうな表情をした。そして、父のロドルフさんはこう言った・・・。
 「このまま二人の結婚を認めるわけには行かない。」
 テオドールは、黙ったままじっとお父さんの目を見据えて、決して引き下がろうとはしなかった・・・。
 彼のお父さんも、テオドールから目をそらさずに諭すように言った。
 「テオドール。お前はいずれ今よりも大きな責任を背負っていくことになるんだぞ・・・。それをきちんと自覚しろ。」
 「わかってるよ・・・!」
 テオドールの苛立った顔を見たのは初めてだった・・・。
 「テオ・・・。」
 彼の母、ソフィーさんは苛立つ息子を心配して声をかけた。
 私は、その一連のやりとりを、まるで他人事のように静観しているしかなかった。最初から、私に意見できることなんて何一つなかった・・・。
 私が彼のためにできる事といえば、もうこれしかない ー。
 私は、覚悟を決めて最初で最後の言葉を言った・・・。
 「・・・分かりました。私、彼とはもう会いません・・・。独りで日本へ帰ります。」
 話している間、私は激しい動悸がしていた。そして、テオドールの顔を見ることができなかった・・・。
 見なくても分かる。今、彼がどんな顔をして、そして、どんな気持ちでいるか。
 私は今、彼の私への気持ちを裏切り深く傷つけてしまった・・・。
 「失礼します・・・っ。」
 私は誰とも目を合わさずに深く頭をさげると、足早にその場を立ち去った。
 これで、全てが終わった・・・。そう思った時だった。
 「華那!!待って!!」
 テオドールが息を切らして私を追いかけてきた・・・。
 私は彼に追いつかれないように走ったが、足が震えてうまく走れなかった。
 私に追いついたテオドールは、大きく肩を上下させ、荒々しく呼吸をしながら私の腕を掴んだ。
 テオドールに腕を掴まれたまま私は、彼に背を向けた。すると彼は私を後ろから抱きしめて言った ー。
 「華那・・・!君を離したくない。君を独りで日本に帰したくはない・・・!!」
 私は、返す言葉が見つからなかった。
 「さっき、うちの両親に言ったことが俺のためって言うのなら、それは違う。そんなことやめて。」
 「・・・私がね。そうしたいの。私、もう疲れちゃった・・・。」
  嘘だった。
 「・・・本当なの・・・??」
 「・・・うん。」
  本当は、離れたくなかった・・・。
 「ごめん・・・華那。でも、俺・・・、このまま華那と別れるの嫌だよ・・・っ!そう簡単に、君のこと諦められない!!」
 嬉しかった・・・。そして、彼は言ってくれた ー。
 「何があっても・・・。華那のことは、絶対に俺が守るから・・・!!」
 嬉しくて、仕方がなかった・・・。でも、彼の負担にはなりたくない。
 「ごめんなさい・・・っ!!」
 
 私は、泣いていることに気付かれる前に、後ろから抱きしめる彼の腕をほどいて震える足を無理やり動かして精一杯走り、急いでタクシーをひろった。タクシーに乗り込んだ私は、決して後ろを振り返らなかった・・・。
 家に着いて、私は膝を抱えてうずくまった。彼の気持ちに対して素直になれない現実が、とても辛かった・・・。
 しばらくすると、外から車の走る音が聞こえた。その音は私のアパルトマンの近くで止まった。私は、もしかしてと思い、カーテンの隙間から外を覗いた。
 やはり彼だった・・・。
 私は、部屋の灯りをそっと消して、気配を消した。暗がりの中、一瞬、指先が光って私は目を当てた ー。
 そこには、彼が贈ってくれたダイヤモンドリングが私の左手の薬指で輝いていた・・・。
 そのリングを見ていると、アパルトマンの外で私を待つ彼の姿が鮮明に思い浮かんで、胸がつぶれそうなほど苦しくなった・・・。それでも、いずれは、きっと彼のためと思い、私はじっと息を潜めて膝を抱えて独りの部屋から出ていかなかった・・・。
 涙が勝手に溢れてきて、やがてダイヤモンドに落ちた・・・。
 涙が落ちたダイヤモンドは、ほんの僅かな光をも反射して暗闇で、より輝いていた。それは、まるで彼が私に会いに来たことに気づいてほしいと、しきりにサインを送っているように思えた・・・。
 彼を求めて深夜の寒空の中、部屋を飛び出した、あの夜が嘘のよう・・・。私は、この僅かな期間の間で確実にテオドールと私の関係が変化したことに気がついた。
 ”愛だけでは乗り越えて行けない・・・。”
 ー 私は改めて、彼の母ソフィーさんに言われた言葉が胸に突き刺さっていった。
 一緒にいることだけが愛ではない・・・。
 だけど、私の心は今でも彼に寄り添っている・・・。だから私は、テオドールへの想いと共に日本へ帰る決心をした・・・。

 その夜から私は、テオドールからの電話もメールも、一切の連絡を絶った ー。
 それでも外せない、彼が私に贈ってくれたダイヤモンドリング。
 このリングが唯一、彼とつながっていると感じさせてくれる。密かに私を慰めて、そして孤独から守ってくれていた・・・。

 ジョエルは一人で日本へ帰る私をとても心配してくれた。何かあったらいつでも相談に乗ると、そして日本に着いたら必ず連絡をして欲しいと・・・。
 
 帰国当日のパリは、いつにも増して寒く、風も強かった。キャリーケースを引きながら空港までの道のりを歩いていると、パリの凍てつく真冬の風が私の頬に張り付いて急速に熱を奪っていった・・・。
 そして、テオドールのキスを幾度となく浴びた私の唇は、冷たく渇いてひび割れそうだった・・・。
 
 空虚な心で搭乗手続きを済ませ、虚ろな眼差しで空港を見渡すと、あれは幻影だろうか??しきりに辺りを見回す一人の男性の姿が・・・。
 彼は私の姿に気がついて急いで駆け寄って来た ー。
 「テオ・・・!!どうして・・・!?私、あなたに何も告げてない・・・。」
 息を切らしながらテオドールは言った。
 「ジョエルから・・・っ、聞いた・・・!」
 目の前に現れた愛しい男(ひと)の姿に私の心は大きく揺れた ー。
 それでも、”テオドールを愛しているのなら・・・。”私は、独りで日本に帰る。
 「これ・・・。」
 私は、ずっと外せなかったダイヤモンドリングをテオドールの目の前で外した。そんな私の様子に彼は、見るに耐えられない痛々しい顔をしていた・・・。そして、私の瞼からは大粒の涙がこぼれ落ちた・・・。
 私達は、お互いに言葉を発することができなかった ー。それでも、彼はそっと手を伸ばして私の涙を拭ってくれた・・・。

 やがて構内アナウンスが鳴り、いよいよ搭乗する時刻になった。
 私が悲痛に顔を歪めたまま歩き出そうとした時、テオドールの右手が去っていこうとする私の腕を掴んで、私を彼のもとへ強く引き寄せた。
 そして・・・、最後のキスは交された ー。
 
 そのあと再び構内アナウンスが鳴り、私は、今にも崩れ落ちそうな足取りで、なんとか搭乗口まで歩き壊れそうな心をかかえて止むことの無い涙を隠しながら、日本行きの飛行機に乗り込んだ・・・。

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