深夜 〜真夜中の電話〜
真夜中の電話
 深夜、電話の音がして、眠りかけていた意識が引き戻された。彼女の鞄の中で鳴る携帯電話の小さな電子音はいつもと違う曲を奏でる。

 僕の傍らに、生まれたままの姿で横たわる彼女は、既に泥のように眠っていた。さっきまでの熱く乱れた夜は去り、僕らは今、深海の底に溜った澱のように、汗で湿ったリネンの上で揺蕩っていた。

日本時間深夜0時の定時連絡。西海岸は朝の7時。

『出なくてもいいの。眠ってしまって出られない事もよくあるから。』
彼女は言っていた。

こんな時くらい、電源を切っておけば良いのに。彼女のそういう無神経なところは、好きになれない。
いや、電源を切っていたら不自然なのか。でも、せめてマナーモードとか。。

今、この電話に僕が出たら、どうなるかな。
深夜0時に、彼女の傍らに男がいると知ったら、彼女の夫は、どうするだろう。

お前は誰だと尋ねて、彼女を出せと喚いて。。。
きっと、すぐに飛行機に飛び乗って、日本へ戻って来るのだろう。

そして、彼女を永遠に連れ去る。
婚姻という逮捕状を盾に、愛という手錠で縛って。

彼女自身がそれを受け入れているのだから。
僕はどうすることもできないし、何をする権利もない。

僕がどんなに引き止めても、喉から血を吐くまで叫んだとしても、
彼女は連行されていく。

そして真綿を敷き詰めた愛の巣に
閉じ込められたまま、朽ち果てていくのだろうか。
あるいは、彼の精を注がれて、彼の子を産むのだろか。

たった5コールで、電話は切れた。眠っている彼女を起こしたくないと思ったのかもしれない。彼女は夫に愛されている。とても。

僕らのこの関係は、いつまで続くのだろう。
いつまで続けられるのだろう。
いつまで続けなければならないのだろう。

「どうして、僕を部屋にいれるんですか?」
「君はどうして来るの?」
「貴女が呼ぶからです。」
「呼んでなんかいないよ。」
「貴女だって僕に恋しているじゃないですか?」
「でも、私は。」既に結婚している。

 別れて下さい。ご主人と。喉まで出かかる。でも、それを言ってしまったら、多分、僕らの関係は終わる。きっと、もう二度と呼んでもらえない。それが怖くて、僕はこの歪で不自然な関係を、どうすることもできない。

 本当にズルい人だ。僕の都合などおかまいなしに、ただ、無言で電話をかけてくる。来て欲しいなんて、絶対に言わない。
 なのに、僕は何をおいても来てしまう。デート途中の彼女を追い返して、バイクで貴女のマンションへ駆けつける。もし、僕が来なかったら、貴女が消えてしまうような気がして。本当はそんなわけないのに。

 僕が貴女を幸せにしますから。

 そんな言葉で貴女の心が動かない事も知っている。貴女の幸せがどこにあるのか、僕にはちっとも分からない。本当の貴女が見えない。それでも、

 恋しているんです。貴女に。。。。貴女が欲しいんです。

声に出せない言葉は、僕の腹の中で、ほとんど減衰しないまま、延々と反射を繰り返している。

「咲さん。」

 彼女の寝顔に小さく呼びかける。童顔の彼女のあどけない寝顔が、少しほころんだような気がして、ただそれだけで、僕の心に幸せの波紋が広がる。

 このままずっと僕の腕の中で、貴女が永遠に目覚めなければ良いのに。夜がずっと明けなければいいのに。

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