戒められし者
十四.カヤンとの出会い
 シャラが来て、はや三日。
 サリムが、見せたいものがある、と言って、シャラを誘導して、ある場所に連れていってくれるという。
 歩きながら、サリムが口を開いた。
 「ねえ、シャラ。イシュリという獣を知ってる?」
 シャラは、うつむいて頷いた。
 リヨンが…スフィルが…それぞれ違うところで教えてくれたのだ。
 一度、野性のイシュリを見たこともあった。
 リヨンと久しぶりの外出で、山に行ったのだ。そこでシャラが貧血を起こし、谷間で休んだ時に何かが空を飛んでいった。
 それは、大きな鳥型の獣-イシュリだった。
 純白に羽根が輝く獣…その時は既に夕暮れで、夕日を受けてオレンジと赤が白い羽根の色と混ざりあって、幻想的だったのをよく覚えている。
 ―実はね…イシュリも、止め笛で気絶させることが出来るのよ。
 リヨンの声が、唐突に蘇ってきて、思わず目を閉じた。
 ―私がまだ『魔術ノ民』だったころ、たくさんイシュリのことを操ったわ…。この『操りノ笛』でね…。野生の獣は、止め笛で気絶させることが出来ないのよ。…だから、カウン国で飼われているイシュリなどの獣たちは、本当は獣ではないのよね。人間という生き物に操られている、憐れな生き物の一種に過ぎないのよ…。
 あの時の、母の悲しげな顔と声が鮮明に思い出された。
 そして、あの時に初めて操りノ笛の存在を知ったことも、なぜか思い出された。
 『シャラ、これだけは、約束してほしいの。操りノ笛、そして私がこの前教えた、指笛での操り方。この二つを使うことは、『操りノ術』という、『魔術ノ民』の中では禁忌とされている術なの。これを使った場合、死に値する大罪となるの。絶対に使ってはだめよ。』
 シャラは、眩暈がして、思わず座り込んだ。
 「シャラ!?」
 大丈夫、と手で示してから、シャラは目を開けた。
 母は、その大罪を犯してまで、自分を助け…そして、母自身は、死を選んだ…。
 「もう、大丈夫です…少し眩暈がしただけです…。ごめんなさい。」
 そう言うと、また二人は歩き出した。
 「ここよ。入ってくれる?」
 そう言われて入ると、檻があり、その奥に何かがいるのが分かった。
 突然、誰かが入ってきて驚いたのだろう。慌ただしく動いている。
 (何…?)
 サリムがささやいた。
 「あれがイシュリよ。名前はカヤン。カヤンは、希望っていう意味よ。ちょっと待っててね。今から餌やりの時間なの。」
 そう言うと、サリムは、懐から、純白の細い何かを取り出した。
 シャラはそれを見て、すうっと身体が冷たくなったのがわかった。
 (あれは…)
 母があの日、炉に投げ入れた止め笛と瓜二つだ…。
 サリムがその笛を口に当てて、息を吹き込んだのがわかった。
 ピー…!
 全く同じ音がした…そして、カヤンはその音が聞こえた瞬間、ぴたっと静止した。
 すると、サリムがすっと動いて肉塊を、檻の中に無造作にほうった。
 「これで終わりよ。さあ、出ましょう。」
 外に出ると、優しい日差しが二人を包み込んだ。
 「あの…あの子は…?」
 おずおずと聞くと、サリムはこちらを一瞥するなり、静かに話し始めた。
 「あの子は…カヤンはね、まだ幼獣なの。親に捨てられたみたいで…一人ぼっちで巣に取り残されていたのを、捕獲隊が見つけて保護したの。衰弱していたから、ここに運ばれてきたのよ。」
 胸にひんやりとしたものが触れた気がした。
 自分は、親に捨てられたわけではないが、様々なことで両親を亡くした。
 だが、その事よりも頭に残っていたのは、あの笛とその音だった…。
 「あ…あの笛は?」
 サリムは笛を取り出すと、それをなんの感情もない目で見つめながら言った。
 「ああ、これのこと?これは、止め笛って言うの。これで気絶させてから、餌やりをするのよ。一応、幼獣とは言えど、危険な獣なのは、変わらないんだもの。でも、最近は、餌を食べてくれなくなったわ。」
 落胆しているようなサリムの声に、シャラは寒気を感じつつも、当たり前だと思った。
 気絶させ、それから、餌をくれる。
 そんなことをする人があげる餌など、食べてくれるはずもない。
 しかも、あの笛は母があの日、暖炉の中に投げ込んだ止め笛と、全く同じなのだ。
 そんなものを、幼獣に使うとは…!
 早くやめないと、カヤンは、一生餌を食べてくれないだろう…。
 (でも、どうすればいいの?)
 母が教えてくれた「操りノ術」など、使えるはずもない。
 シャラは、部屋の戸棚にしまってある、銀色の笛のことを思った。
 母があの日くれた、形見の首飾りの中に、細い銀色のものが混じっている。
 それこそが、「操りノ笛」という、母が自分を助けるがために、大罪だと言って、使った笛だ。
 吹き方によって、獣の動きが変わる、いわゆる魔法の笛。
 他にも、その場で笛が使えなかったり、笛を持っていない時、それぞれで使える術も習った。それが、指笛での操り方だ。
 母は、懐の奥に隠し持っていた「操りノ笛」があったために、それを使ったが、もし無ければ、指笛での操り方を選んでいただろう。
 どの方法を選んでも、母が大罪を犯すというのは、変わらなかったのだ。
 それが、胸の奥に届いた時、激しい悲しみがこみ上げてきて、ぐっと歯を食いしばった。
 (カヤン…あなたは幸せなの?私は、そうは思えないわ…。)
 そこまでカヤンに、心の中で語りかけてからふと思った。
 幸せとはなんだろうか…。
 シャラは、たとえ辛い暮らしだったとしても、人生だったとしても、その本人が幸せだと思えば、幸せなのだと思っている。
 ふと、遠い記憶がよみがえってきた。
 母が勉学を教えてくれていた時、幸せについて語っていた記憶だ。
 『シャラ、幸せは虹を思い浮かべるとわかりやすいわよ。虹を見ることができると、幸せになれるって言うでしょう?私が、父から教えてもらったのはね、虹というのは、七色で構成されている。その七色さえあれば、知る色は、ほとんど無限に作れる。だから虹は、自分が持つ色だけで、好きな色を作れる。色は、混ぜ方によって印象が変わる。そんな色の変化を、自分で思うがままに作れる。だけど、虹は一つ一つの色をしっかりと独立させている。そんな優しさ溢れる虹を見れるなんて、幸せなことだ…ってこと。人間も、人によって、性格は違うでしょう?例えば、いつもはっきりと言ってほしい人、優しい言葉じゃないと、心が折れてしまう人、頼りにされたい人…色々といるわよね。その性格という色に合わせて、人と接することが出来る人、つまり、混ぜる色を変えることが出来る人は、かけがえのない友人を、たくさん作れるという幸せが待っているわ。だから、忘れないでほしいの。虹のように、色ごとに対応を分けれるような、あたたかい人が、幸せをつかめるってことを。たくさんの性格が、色が、それぞれ混ざりあえば、最高の色が作れるってことを。シャラにはそういう子に育ってほしい。忘れちゃだめよ。わかった?」
 あの時は、何を言っているのだろう…という思いだったが、今になって、やっと分かる。
 母が、幼い自分に、伝えたかったことが。
 カヤンにも、同じことを伝えてあげたい…カヤンに、幸せというものを理解させて、幸せだと思ってほしい…。
 「あの、サリム先生!」
 初めてのシャラの大声に、サリムが驚いてこちらを見た。
 サリムの顔から目を離さずに、こう言った。
 「私に、カヤンの世話をさせてくださいませんか?」
 サリムの顔が、一転して険しくなった。
 「何を言っているの?まだ未熟なあなたに、カヤンの世話ができるわけがないでしょう?」
 シャラは、ひるむことなく話し始めた。
 「私は、カヤンの世話の仕方に大きな疑問を抱いています。餌を食べてくれない?そんなの、当たり前だと思いませんか?何か甲高い音が聞こえた瞬間に、気絶してしまって、目を覚ましたら餌が置いてあるんですよ?そんなことをされながら、簡単に餌を食べてくれるなんて、私は思いません。イシュリは、驚くほど賢い獣なんです。カヤンは、子供心にも恐ろしさを感じているんだと思います。そんな急に出てきた餌を、警戒せずに食べるはずがないと思います。お願いです。私にひと月の猶予を与えてください。私なりの世話をしてみます。そして、ひと月以内に、カヤンが餌を食べるようになったら、その後も、私にカヤンの世話を、任せてください。」
 サリムは、険しい顔を崩さずにこう問うた。
 「すごい自信を持っているわね。どうしてそこまで、分かりきったことを言えるのかしら?」
 シャラは、広がる草原に、ゆっくりと視線を移すと、遠くを見るような目で話し始めた。
 「私は、あの作文に書いたとおり、王家の生まれです。母が『魔術ノ民』の生まれでもありましたから、王家の勉学だけではなく、『魔術ノ民』の術についても教えてもらいました。その時、イシュリなどの獣についても教えてもらえたのです。生態などに加えて、たとえ獣でも、しっかりとした心を、持っているのだということも、教えてもらいました。母は、こう言っていました。『獣だから、危険だからという、人間の勝手な思いのせいで、操られる獣は憐れだわ…』と。私は、母が処刑される前日、母と初めて、しっかりと話しました。母も、止め笛を持っていました。それを、私の目の前で、暖炉の中に投げ込んでいたのを、今でも鮮明に思い出せます。あの時の母の表情も、忘れることはありません。母は、獣を操ることを嫌っていました。操る生活が嫌になったことが、一族から離れた、本当の理由だったのだそうです。その後、母は一族の中で、禁忌とされ、死に値する大罪ともなっていた術を使い、私のことを助け、自分は死を選びました。母は生前、操らずに、禁忌を犯さずに、獣が生きることを、心から願っていました。しかし、その願いを叶えることなく、母は逝きました。私は、カヤンを救うと同時に、母の願いを叶えたいのです。そして、カヤンに本当の獣として扱われることの、幸せを知ってほしいのです。たとえ両親を亡くしたとしても、辛い人生だったとしても、幸せになれるってことを、知ってほしい。私だって、父を亡くし、兄が勘当されていなくなり、母が目の前で国の身代わりとして処刑され…それでも、兄と再会して、短い時間だったけど、共に暮らせて、心から幸せだと思えました。次は、カヤンにそれを感じてほしい。どうか、お願いします。」
 サリムは、息をするのも忘れて、涙を流しながら、頭を下げているシャラのことを、見つめていた。
 (この子は…)
 本当に十三という年齢なのか…そんな疑問が、頭を駆け巡った。
 それに、シャラのここまでの人生はどうなのだろう…十三歳で、幸せのことなど考えるだろうか…。
 サリムは、息をつくと言った。
 「わかったわ。カヤンの世話を、頑張ってしなさい。カヤンが心を開いてくれるといいわね。」
 そう言うと、止め笛を渡した。
 シャラは、使うつもりのないそれを、力強く握りしめながら、深々と頭を下げた。
 だが、このカヤンとの出会いが、後にシャラの歩む道を、大きくねじ曲げてしまうことになってしまうのだった。
< 14 / 30 >

この作品をシェア

pagetop