甘え上手でイジワルで

嵐の前は静か

「あ、あの……」

 草壁くんに向けられる視線の強さに、ただならぬものを感じてしまって、私は何を言えばいいのかわからなくなる。
 繊細で甘い顔立ちの草壁くんなのに、唇を真っ直ぐにして真っ直ぐにこちらを見てくる草壁くんに、きらきらしいイケメンっぽさは全然感じられない。
 どのくらいだろう? 多分五秒もなかったはず。
 でも、私は蛇に睨まれた蛙みたいに動けなかった。

「先輩」

 その時、にこっと草壁くんが笑った。
 彼のとっておきの笑顔だ。それから、彼は申し訳なさそうに眉を下げる。

「つい、かっとして、大人げない振る舞いをしてしまって、すいません」

 私は知らず止めていた息をほっと吐き出した。
 肩ががちがちだ。なんでこんなに力んでしまっていたんだろう。
 そうか、草壁くんは自分のしたことを反省してくれてたんだ。
 私はそんな風に自分を納得させた。

「ちょっと、びっくりしちゃった。草壁くんもあんな一面があるんだね」
「びっくりさせてすいません。……引きましたよね」
「でも、私のために怒ってくれたんでしょう?」

 鈴ちゃんもそれはわかっていたはず。

「びっくりしたけど、それは……嬉しかった、かな」

 草壁くんは「参ったな」と言って、腰に手を当てて顔を俯けた。そして、小さい声で何か呟いた。

「……えっ? 何? 何て言ったの?」
「何でもありません。あちらで海野研究員がお話があるそうです」
「明良くんのことかしら。わかった、すぐ行くわ」

 私は草壁くんと連れ立って海野研究員のもとへと向かった。

 海野研究員は私よりも大分年上だ。年は四十半ば。
 明良くんを産んでからも、ずっと仕事を続けていた。
 明良くんが小さい時には、まだまだシングルマザーに世間は厳しかっただろう。
 今では、産休や育休などの条件を満たした企業を、省庁が認定する仕組みもある。キタガワももちろんそれに沿って、ワークライフバランスの取り組みを進めてきたけれども、恩恵を受ける前に、明良くんは大きくなってしまった。

「明良の父親とは、明良が小さい頃に離婚したんです。夫は……今だとDVっていうんでしょうか。別れて良かったと思っています。でも、母ひとり子ひとりで明良を育てることになって、明良にはたくさん我慢をさせました。明良は大人しくて、言うことをよくきく子でした。だから、我慢してるって、私は思わなかったんです。それが当然だと思っていた。お母さんは大変なんだから、あんたは我慢しなさいって言い続けてきました」

 海野研究員は、窓の向こうを見るようにして話す。
 そこには冬の夕暮れに向かおうとする空しかない。

「……明良の将来のためにも、親子二人で生きていくために、働き続けなきゃいけなかったんです。明良が熱を出したって、学校から連絡を貰って、仕事の都合をつけて迎えに行って、どうして熱を出したんだって怒りつけたこともありました。明良は、お母さんごめんね、僕が熱を出してごめんねと言って泣きました。そんなの明良のせいではなかったのに」

 海野研究員は、研究で成果を出し、昇級した。自分の裁量で仕事ができるようになり、この新しくできた研究所へ異動願いを出した。

「これから、ゆっくり明良と暮らしていこう、そう思ったけれど、明良は学校に行かなくなりました。仕事のことなら簡単です。でも、明良のことになると私は途方に暮れてしまうんです」

 海野……いいや、明良くんのお母さんの顔は疲れ切っていた。彼女は明良くんの非礼を詫びて、深く頭を下げた。




 そんな風にクリスマスが過ぎて、仕事納めを迎えた。
 工場はラインが止まり、研究所もお正月が開けるまでは最低限の人数だけが勤務する。
 家に向かう車の中で、草壁くんが私に尋ねた。

「先輩は、年末年始はどうされるんですか?」

 草壁くんはにこやかで、クリスマスのあとも変わらず、私に親切にしてくれる。
 時々、私をからかうようなことをするのも変わらない。……好意をほのめかすのも。

「実家に挨拶に行こうかな、と思ってたけど、妹と母は温泉に泊まりに行って年越しをするって言うから、いつ行くか迷ってるんだ」

 この冬のバーゲンで妹は福引きの一等賞を当てたらしい。それが温泉旅行。数日のうちに、妹と母は温泉地で新年を迎える計画を立てて、「お姉ちゃんごめんね」と連絡を寄越した。
 温泉旅行はペアだったんだって。

「草壁くんはどうするの?」
「僕はずっと家にいます」
「実家に帰らないの?」
「はい」

 そこで会話は途切れてしまう。
 そういえば、私は草壁くんの家族のこととか何も知らない。
 草壁くんは穏やかな表情を崩さないけれど、ここで「どうして帰らないの?」って言えないくらい、何だかとても気まずい空気が漂っている。
 狭い車内だからなおのこと。
 私が次の言葉を悩んでいるうちに、車が家の前に着く。
 もう草壁くんは助手席のドアを開けたり、手を差し出したりすることはない。
 でもさりげなく、私が持ち帰った資料の束を持ってくれる。
 やさしいひとだと思う。
 かっこいいし、優秀だし。
 真っ暗になった私の足下を、すかさず照らしてくれる。気配りもできる。
 だから、こんな人に好意を寄せられるってことが、信じられない。
 それに、これはどうして思うのかわからないけれど……草壁くんは非の打ち所がなくて、なさすぎて、何だか怖い。
 こんなことを思うのがおかしいのかも知れないけれど……。

 外は真っ暗で、風が強い。空は夜空より黒い雲が垂れ込めていた。

「嵐が来るみたいですね」

 草壁くんがぽつりと言った。
 天気予報では、強い寒気が入り込み、天気は大荒れの年末になるって言ってたっけ。
 私はざわざわする気持ちをおさえて、草壁くんに頷いてみせる。
 草壁くんは風に煽られた髪を、書類を抱えていない方の手で撫でつけた。

「わくわくしますね」
「嵐が? まるで子供みたいなこと言うのね、草壁くん」
「子供っぽいのは嫌いですか?」
「も、もう、だからそういう冗談は」
「冗談じゃないですってば」
「子供っていうなら車の運転なんてできないでしょ」

 軽口の応酬をしながら家に入る。草壁くんが、玄関の鍵を閉めた。
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