甘え上手でイジワルで

かわいいさくらんぼ

 キタガワの工場を誘致したことで、この町は財政的に余裕があるのだろう。
 工場の従業員や研究所の職員もこの町に移り住むわけで、あわせて商業施設も新設される。
 田舎ならではのまっすぐな道と、きれいに区画された宅地造成地。
 建設中の建物が目につくのも、この町がこれから発展していくことを予感させる。
 公共施設も新しくできたものが多く、町民が利用できるスポーツセンターも設備が充実しているらしい。草壁くんも何回か利用したことがあるんだって。
 それから、公園。

「この公園も、広くてきれいだね」
「はい、先輩」

 私達は並んで、芝生の公園に立って、追いかけっこをする鈴ちゃんと力丸くんを見ていた。

 川口 鈴。川口 力丸。
 川口研究員のお子さんは、双子で生まれた。

『小さく産まれたけど、おかげさまですくすく育って!』

 川口研究員は、ふっくらとした体つきと柔和な顔立ちをしている。
 明るく笑いながら、楽しそうに鈴ちゃん力丸くんの子育てと、研究について話をしてくれた。

『それでちょっと申し訳ないんですけど、やっちゃいたい作業があって……しばらく、二人をお願いできますか?』

 優しそうだけど、押しが強い川口研究員。
 というわけで午前中の聞き取りを終えた草壁くんと私は、午後になって、鈴ちゃんと力丸くんを連れて、公園に行くことになったのである。

 それにしても、空が青くて、高い。それから……寒い!
 力丸くんと鈴ちゃんが追いかけっこしながら、こちらにやってくる。
 鈴ちゃんははあはあ言ってるけど、力丸くんはまだ走り足りなさそう。

「たかっしー! サッカーしようぜ!」
「いいよ。先輩、ちょっと持ってて貰えますか」

 手を出した私に、草壁くんはにこっと笑うと、脱いだコートを私の肩に掛けた。
 草壁くんのコートは大きく、それから温かさを残している。
 まるで草壁くんの胸に包み込まれたよう。
 私の頬はまた熱さを持って、肩に掛けられたコートを腕に抱え直そうとする。

「……着てて下さい」
「あ、あの、でも」
「寒いですから」

 草壁くんは長い指で、コートの胸元のボタンを閉めてくれる。
 ふいに指が顎に触れて、私はびくっとしてしまう。

「僕の代わりです」

 仕上げとばかりに草壁くんはマフラーを私の首に巻いた。
 マフラーに唇を擽られて、「んっ!」と目を閉じた私にの耳にもやわらかい感触。
 ぐるぐる巻きにされてしまう。

「ちょ、ちょっとこれはやりす……」
「脱がないで下さいね」

 私だってコートを着ている。その上からでも草壁くんのコートは着れてしまった。
 彼は満足げにポンと私の肩口を揃えた指の背ではたいた。

「行ってきます」
「いって……らっしゃい」

 草壁くんが走り出す。先に行った力丸くんにすぐに追いついた。
 長い足で悠々と芝生の上を駆けていく。
 細身のスーツでサッカーボールを蹴り上げる。力丸くんは歓声をあげて草壁くんの足下に纏わり付いた。
 風は冷たくて、空は青くて、午後のあたたかい光が緑の芝生に躍動の影絵を映す。

「ちょっと、あたしここにいるんだけど」

 つんっとコートの裾を引かれて、私はたたらを踏んだ。
 見下ろせば、鈴ちゃんが私を睨み付けている。

「あんた、名前なんだっけ」

 鈴ちゃんは見た目は愛くるしい幼児である。の割に、大人びた話し方はギャップが、ある。
 こくりと唾を飲みこんだ。昔から、女子のグループが怖くて、地味に教室の隅っこにいた方だから、その癖が出たのかも。

「駒川 彩未です」

 にへらっと機嫌を窺うみたいな顔になったら、鈴ちゃんはふんっと鼻を鳴らした。

「あやみ、いーい? たかっちゃんは倍率高いんだから! しっかりしなさいよね!」

 たかっちゃ……草壁くんのこと!?

「他の女とか用もないのに研究棟来るんだよ。たかっちゃん全然相手にしてなかったけど。は? て、すっごい冷たかった」

 私は鈴ちゃんの前にしゃがみ込んで、目線の高さを合わせた。

「鈴ちゃん、草壁くんって、すごく優しくて面倒見がいい人なんじゃないかって私、思うけど……」
「それはあんたにだけなんだってば!」

 鈴ちゃんはかわいいヘアゴムのついたツインテールを揺らしながら地団駄する。

「あやみが来てから! たかちゃんは、あたし達とは遊んでくれてたけど、オトナノオンナにはツーン! プーン! ってしてたんだから」
「それは……私が、子供扱いされてるってこと? 何だか失礼な」
「ばかっ! どんかん!」

 鈴ちゃんに押されて、私はだるまみたいに尻餅をつく。

「す、鈴ちゃん……」

 幼女は力が強い! ぐいぐい押されて、やられたままも癪で、鈴ちゃんのお腹のあたりを擽ってみた。

「きゃっ! やめてっ! やめなさい」
「ほら、こちょこちょ!」

 鈴ちゃんは全身でくすぐったさを表現する。私は立ち上がって、逃げる鈴ちゃんを追いかけた。
 捕まえた鈴ちゃんを抱き上げる。

「鈴ちゃん捕まえたぁ!」
「んもーっ! あのねぇ……!」

 ふっと目の前が陰る。
 力丸くんが高く蹴ったボールの陰が、私達の前を横切った。
 草壁くんは楽しそうに力丸くんとボールを蹴っている。

「見とれてんじゃないわよ」

 ほっぺたを鈴ちゃんにつつかれる。

「み、見とれてなんか」
「あのね、ほんとに、たかっちゃんは、あやみにだけなんだから」

 草壁くんがこちらに大きく手を振る。
 眼差しは真っ直ぐに私に向けられる。笑顔、それから呼ぶ声。
 どきんと心臓が音を立てる。
 思わず腕に力が入って、すずちゃんが「むぎゅ」とうめく。

「……油断してるとね、他の女に取られちゃうんだからね!」
「そんな……」

 力丸くんと草壁くんがボールを蹴りながら戻ってくる。

「何、話してたんですか?」

 草壁くんは鈴ちゃんを私の腕から受け取ると、ついでみたいに私の首のマフラーを巻き直した。

「……何でもない」

 私はどぎまぎして、彼の笑顔から目を逸らした。




 私のタブレットには、新たに病児保育と病後児保育の文字が加わった。保育園には、病気になった子供を預けることはできない。
 子供はすぐに熱を出す。熱だけじゃない、彼らは急に体調を崩す。でも仕事の予定は変えられない。
 あちらこちらに頭を下げて仕事を休むか、それとも子供を預けるか。
 キタガワという会社を中心に人々も異動してきた町だから、川口研究員もそれに漏れず、身近に祖父母世代や親戚がいるわけでもない。
 近所に二人の子供を預けられるようなあてもない。
 そうなると、何かのサービスに頼るしかない。

 帰宅してから、与えられた部屋のベッドに寝転んで、タブレットを見ながらうんうんしていると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
 ノックの相手は、草壁くんしかない。

「な、何?」

 草壁くんはラフなジーンズ姿になっていた。スーツとはまた違う。
 彼は私をみると、くしゃりと相好を崩した。

「何よ? 何!?」
「先輩の部屋着……」

 何で顔を覆ってしゃがみ込むの!?

「……はぁ、あんまりかわいくて……」
「は、はぁー!? だ、だから、そういう冗談禁止!」
「……冗談じゃないんだけどなあ」

 草壁くんは苦笑する。彼は夕飯について私に聴きに来たのだった。
 仕事の話をしながら夕飯を作る。草壁くんは料理も手際が良い。

「何また笑ってるの?」
「何だか僕たち、新こ……」
「だーっ! いい! そういうのいいから!!」

 真っ赤になった私の顔が、ステンレスのボウルに映っている。
 鈴ちゃんの言葉が脳裏に浮かぶ。
 私にだけ……? 彼が、こんな冗談を言うのも、笑顔も見せるのも……。

「先輩?」

 きらきらしたハンサム、年下の部下が、私を……?

「そ、そんなこと、ないもんね」

 怪訝そうな草壁くんに、昼間のように私は「何でもない」と答えた。
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