手をつないでも、戻れない……
 私は彼の腕の中で、悪い事だと分かっていても、愛おしさを感じずにはいられなかった。

 だが、そのまま、眠る事は出来ず、彼の胸の鼓動を聞いていた。

 彼も、眠れずにいる事は分かっていたが、言葉を交わす事なく、ただただ、彼の温もりに縋っていた。



 カーテンの隙間から、僅かな光りが漏れだした。

 体は、ひどく倦怠感があるのに、一睡も出来なかった。

 きっと、罪悪感の中で、安心して幸せを感じる事が出来なかったからだろう……


 彼が、ゆっくりと体を起した。

 私も、横になったまま彼を見上げた。


「もう、行かないと、仕事だ……」

 彼は、そう言って、唇を重ねた。

 深い口づけに、溺れそうになる脳裏を追い払う。


「シャワーは?」


「いや、いい……」

 彼は床に落ちた下着に手を伸ばした。


 私は、シーツに巻いたままの体を起した。


 そして、一晩中考えて出した言葉を口にした。


「もう、これっきりにしましょう…… 一度だけなら、許されるなんて思ってないけど……」

 声が擦れそうになり、口を告ぐんだ。


 彼は、ワイシャツのボタンをかう手を止めた。


「美緒が、そう言うんじゃないかって思った…… 美緒の事は、真剣に考えてる。少し時間をくれないか?」


 彼の言葉に、体が熱くなるくらい嬉しかった。


 勿論、彼を信じていない訳ではないが、私は、首を横に振った。

 これ以上、望んではいけないと思ったからだ……



「もう、十分だから……」

 私は彼の目を見た。


「俺が、嫌なんだ。もう、後悔したくない」


「これ以上、望んじゃだめだよ。大切な人、傷つける事になるから……」


「分かってる」


「分かってないよ!」

 強い口調で言った私の頬を、彼はぎゅっと胸に押し当てた……


「頼むから、俺を信じてくれ……」


「信じているから、ダメなんだよ……」

 私は、擦れた声で言った。


「じゃあ、一つだけ…… 絶対に、自分で勝手に決めて、俺の前から消えないでくれ。今度は、ちゃんと向き合って、答えを出そう」


 彼は、私を抱きしめたまま言った。


 私は、黙って肯いた。
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