こんな恋のはじまりがあってもいい
勉強会と言う名の作戦。
「勉強を教えて、とは?」

突然の誘いに驚いた俺は、一瞬立ち止まってそう尋ねた。
彼女はにこにこと穏やかに頷く。

「そう。お願い」
「……うーん、俺なんかで務まるのかな」
「大丈夫大丈夫!相手は私の弟だから」
「いやだから心配なんですけど……」

学期末テストの最終日、二人で下校途中に突然
あかねがそんな話を切り出した。

「ちょっと部活バカでねー、このままじゃ成績が危ういのよ。」
俺たちとは違う私立中学に通う彼女の弟は、来週から期末テストが始まるらしい。
そこで点数を稼いでおかないと今後の進路に響くのでは、と心配しての頼みだった。
「あかねが教えたらいいじゃん」

ごく当たり前の意見を述べるも
「私が教えたら喧嘩になるから」
お手上げ、と言わんばかりに方をすくめて彼女は大げさにため息をついた。

「でも、まがりなりにもあの学校、賢いのでは」
「だから問題なのよ」
レベルが高いから、適当なことをしているとすぐ落ちるというのだ。
確かに、と納得するものの

「うーん、俺がねえ……」
ハッキリ言って、自信がない。
別の意味で、だけど。

「真野くんの話だったら聞くと思うの」
「なんで」
「なんとなく」
なんだそれは。

「ね、お願い」
ずるい。
あかねは俺が断れないのを知っていてこんな風に頼むのだ。
「うまくいく保証はないからね」
「大丈夫」

やったあ、と嬉しそうにはにかむ姿を見て
思わず頬が緩んでいる自分に気づく。
惚れた弱みってやつだろうか。


こうして、俺は初めて
例の弟さんにご挨拶することになるのである。



「ただいまー!真野くん連れてきたよ」
玄関を開けるなり、嬉々として彼女はそう言いながら俺を奥の部屋へ案内した。
「……お邪魔します……」
こんな突然に、彼女の家の敷居をまたぐことになろうとは。
ご両親は夕方まで留守らしい。
それを聞いて少しホッとする自分がいた。
(何もやましいわけではないけれど、やっぱ緊張するなあ)

通された広いリビングは綺麗に整頓されていて、黒く光るピアノが視界に入った。
「……ピアノ弾くんだ?」
「うん、たまにね」
中学まで習っていたんだよ、とすぐそばにあるキッチンのカウンター越しに声がする。
「初めて聞いた」
「そういや言ったことなかったね」

おまたせ、と彼女がジュースの入ったグラスをトレイに乗せてやってきた。
すぐそばのソファに腰掛けて、受け取ったグラスを口につける。

「今、弟が降りてくるからちょっと待ってね」
「うん」
相手は年下なのに、なんとなく居心地の悪さを予感する。
それはきっとーーー以前見かけたあの様子が記憶に新しいからだ。

仲のよい弟。
それってきっと

そこまで考えた時、リビングのドアが開いて
彼女によく似た顔立ちの男が顔を出した。
「……ども」
「こら祐樹、ちゃんと挨拶して」
「うるさいな」
速攻で頭を叩かれた弟は、少し不機嫌に姉を見てそうぼやいた。

この間は後ろから見ただけだったし、あかねにあの後しつこく写真を見せられてはいたけど。
実質初めてのご対面、だ。
「あ、こんにちは。真野です」
あくまで、爽やかに、爽やかに。
そう言い聞かして営業スマイルを心がける。

弟さんには好印象を残さねば。
今後のためにも。


そんなワケで
少々ぎこちない空気を纏いながら、勉強会はスタートした。
「で、どこからやればいいのかな?」
「……ここです」
「ああ、どれどれ……」
参考書と教科書を交互に開きながら、ヒントや解説を自分なりに砕いて伝える。

あかねは静かに自分のワークをコツコツと進めていた。

「ああ、なるほど」
「そう、だからこの問題は……」
やはりレベルの高い私立中学に通うだけあって、理解力が高い。
少し説明すればすぐに応用問題まで解ける。

こんなの、俺が居なくても自力で解けたのでは?
とまで思うほどだ。
さらに
「ちょっと真野くん、ついでに私もここ教えて」
「ん?これは……ここにヒントが」
「えぇ、どこ?」
「うーん、この文章だと過去の話になっちゃうじゃん」
「あ、そっか」

あかねまで俺に聞く始末。
学校でもよくあることだから構わないのだけれど。

本当に勉強会だな。
この兄弟はこんな風に勉強しているのか。

真面目だな、と感心して
自分も身を引きしめる思いに駆られた頃。
「ちょっと休憩〜っと。すぐ戻るね!」
彼女が席を立って、パタパタとリビングを出ていった。
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