3→1feet
何だったんだろう。

人知れず安堵の息を吐いてゆっくりとカバンから右手を取り出す。

仕切り直しだ。

せっかくのチャンスをものにしようとした勢いはもう消えてしまった。

また勇気を振り絞らないととても言い出せない。

でもそんな勇気も湧いてきそうにない。

「今日も遅くなったな。鈴原もずっと残業続き?」

「たまにかな。」

「そっか。夜道とか気を付けて帰らないと危ないからな?」

「ありがとう。」

何気ない会話が始まっても心の中はぐるぐるしたままで。

どうしよう、エレベーターが来たら完全にタイミングを失ってしまう。

渡すなら今しかない、今しかないって分かってるのに勇気が出てこない。

さっきまでの私の決意を無駄にしたくはないのに。

上手くいかないな…。

地団駄踏みたい思いで視線を泳がせると、窓に反射して甲斐くんの姿が見えた。

甲斐くん。

黙って立っているだけでカッコいいなんて羨ましい。

本当に、甲斐くんのことが好きなのにな。

でもいつまでたっても勇気を出せなかった私は、エレベーターの扉が開くまで何も動けなかった。

誰も乗っていないエレベーターが私たちを迎えにやってくる。

扉が開き、何となく先に踏み出すのを躊躇って甲斐くんの方を見た。

「甲斐くん?」

甲斐くんはエレベーターのボタン辺りを見つめたまま動こうとはしない。

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