うさみみ短編集
「和子さんはまだ若いし、綺麗よ。旦那さんだって、有名商社の課長さんだしね」




向かいの白地のセーターに身を包んだ女が口元にナプキンを当てながら私に話題を振ってきた。




その合図を機に周りの女達も口々に「そうよ、そうよ」などと、賛同している。






「私、三十六よ。若いなんて言える年は過ぎたわ」



と私が答えると、向かいの白いセーターの女は


「あら、それ厭味?私なんてもう今年で四十三なんだから」と冗談を織り交ぜた口調で返す。




それと同時に残りの女達の笑い声も混ざり合った。




 笑えない。私は心の奥底で痛烈に否定したくて堪らなくなった。その皆の何気ない笑いの一つにすら、吐き気を感じた程だ。






つい先日まで笑えていた事が、私の中で一切笑えないものになってしまっていた。






あの時の私の顔は一体どんな顔だったのだろう?





自分で手鏡を持っておれば、きっと冷や汗を流す位に不自然で取って付けられた様な笑顔が映ったに違いない。







綺麗という言葉は嫌いではない。寧ろ好きだ。若いといわれる事も何よりの優越感に浸れる。





こうして動物の毛皮屋やら高級バッグやらで身を包んだ私とは別の私を、この人達は知らない。






素顔の眉も描かずに、素肌の乾燥した唇で煎餅を齧る私の姿なんていうのは。





最近、夫にも時折口喧しく言われていたが、買い物に出るときは着飾るのだから良いではないかと放棄しきっていた。






送り出す言葉もどこか家事の一つとして済ませていたところもあったし、数年前まで手を振って投げかけた「いってらっしゃい」も、今では送り出す日常のただの流れの一つの様に「いってらっしゃい」と返すだけだった。







ああ。と後悔と罪悪感の気持ちで一杯となって、私はトマトパスタを絡めたフォークを手から外した。






「どうしたの?和子さん。具合でも悪いの?」





向かいの女性が私の顔を覗き込むように首を傾げて見つめる姿に、私はその罪悪感で一杯になったままの胸中で彼女に笑顔を作った。






「ええ、少し。悪いけど、今日は帰って良いかしら?夫も今日は出張帰りだから、もう直ぐ家に着いてしまうわ」




彼女達にもう一度「ごめんなさい」とだけ軽く頭を下げて言えば、私はブランドバッグを肩に掛けて家路へと戻る。






家路へと着き玄関の戸を閉めると、我が家の香りが私を包み込む。その香りの中で、私は目を閉じて深呼吸をしてみた。







「ごめんなさいね、あなた」






深呼吸の後に、私はまだ家路には着かない旦那への軽い謝罪の言葉を述べる。





綺麗だと若いと人一倍望む私が、綺麗になる事を一番、怠っていた。





ブランドバッグを身に着け、毛皮をあしらって化粧も一時間も二時間もかけた入念な今の私は、年の割にそれは幾分映えて見えるのかもしれない。






だが、私は首を左右に振る。違うんだ、そうじゃない。あの人達に言って貰うよりも、誰より言って欲しい人は他に居るのに、それを一番に見落とした自分。






玄関を離れ、私は台所へと立ち、貴方の大好きなぶり大根を皿に並べて、玄関のドアを開ける貴方の帰りを、待っている。





ドアが開く音と共に聞こえた「ただいま」と返るその声に、私はきっと何時もより胸を弾ませて玄関へと向かうだろう。





「おかえりなさい」と、最愛の人を出迎える笑顔と共に。
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