セルロイド・ラヴァ‘S
4-2
いつもは奥の玄関口から中に入るから、こうして『珈琲 保科』の扉の前に立つのはとても久しぶりだった。

「ここです」

後ろを振り返ると、羽鳥さんは仰ぐように建物を上から嘗めて「・・・なるほどな」と呟く。 

Closedとプレートが返され、レトロガラスの小窓の向こうに仄かな明るみが差す木の扉を開けば。カランカランとドアベルが響いた。

「どうぞ」

ゲストを招き入れ、そのままそこからカウンターに向かって声をかけた。

「愁一さん、羽鳥さんをお連れしましたけど・・・」

「おかえり。寒かったでしょう」

柔らかな声と共に、お店に立つ時の白いシャツに黒の蝶ネクタイ、ベスト、ロングエプロンという正装で姿を見せた愁一さん。「初めまして」とにこやかに羽鳥さんの前に立つ。

向かい合わせで並ぶのを見上げると愁一さんの方が背は上だった。175センチくらいかと勝手に思ってたけれど、確か羽鳥さんが176センチ位だったはずだからそれ以上って事実に今さら気付く。

「いつも睦月がお世話になっています。保科愁一といいます。よろしく羽鳥君」

ふわり、と初めて私にも見せた時と同じ微笑みに目を奪われる。すらりとした立ち姿も何にも動じていない穏やかな空気感も、何ていうか・・・圧倒的で。羽鳥さんでは敵わないと直感で察した。 

「こちらこそ。申し遅れました、グランドエステートの羽鳥です」

羽鳥さんは少し硬い表情に笑みを乗せ、上着の内ポケットから名刺入れを取り出すと手慣れた仕草で自分の名刺を差し出した。

「吉井さんにはアシスタントとしていつも仕事を支えてもらってます。僕にとっては欠かせない存在なので、ときどき遅くまで残業をお願いしてしまいまして。保科さんにご心配をおかけする事がこれからもあると思いますが、ご容赦いただきたかったものですから。ちょうど僕もご挨拶させていただけて良かった」

爽やかに言ってのけながら挑戦的な眼差しを隠しもしない。ヘビに睨まれたカエルにはならず、さすがと言うべきなのか。内心で溜め息。立派なハブとマングースの闘いに胃が引き攣れる思いがする。
 
「睦月がお役に立ててるなら僕も鼻が高いかな。彼女は真面目な人だから、頑張りすぎないかとちょっと心配はしているけどね」

やんわり笑いながら愁一さんがあっさり釘を刺して見せたのを、私はただじっと横顔を見つめているだけだった。しなやかに振り払った見えない鞭が羽鳥さんの鼻先を掠めてく。まだ序の口。・・・きっと。
 
「でも羽鳥君ならそういう気遣いも忘れないでくれるだろうから。良かったね?睦月」

「・・・うん」

こっちに伸びた手が私の髪を優しく撫でた。薄く微笑み返すと愁一さんも淡く笑む。深く目が合う。

いつも優しい。・・・同じくらい甘くもない。知っていた。そんな貴方に毎晩抱かれてるのだから。 
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