クレナイ?
クレナイ?
 黄金川科学技術研究所、通称KIST、津九音市内に広大な敷地面積を持つ、黄金川財閥運営の研究所には、飲食施設が四カ所ある。

 そのうちの一つ、座席数二番手、かつ、最もカジュアルで、学生食堂の趣を残す、B食こと、黄金川亭が、紺野吟子(こんのぎんこ)の主戦場だ。

 唯一やっている朝食営業を終えて、一息つくと、今度はランチの仕込みが待っている。入り口の札を準備中にして、珈琲で一息いれてぼんやりしていると、研究所内メインストリートに向いたサッシの向こうを、足早にすたすた歩いて行く南雲蘇芳(なぐもすおう)の姿が見えた。
 長い足と大きなストライドで、あっという間に通り過ぎてしまう……はずだった。

 一瞬、蘇芳は準備中のB食に目をとめて、吟子の姿に気づくと、愛想よく手をふった。

 ……たぶん、振り返した方がいいのだろう。吟子は思うのだが、どんな顔をしていいかわからない。

「研究職の人って、白衣を着てるものだとばかり思ってました」

 初めての会話はささいな話だった。

「ああ、実験機械に巻き込まれと危険だから、作業着の方が多いんだよ、最近は」

 そんな風に言う蘇芳の見た目は、仕立てのよいスーツにサングラス、整えられた髪で、どうかすると育ちのよい遊び人のようにも見える。

「コンちゃん♪」

 楽しそうにそう言う声は、甘く、優しい。どうしてこんな、縦にしても横にしても男前な蘇芳が自分に妙に懐くのか……。

 ……少なくとも、見た目では無い。蘇芳と違って吟子の見た目は十人並だ。

「今日のランチ、何?」

 胃袋を掴め、とは、婚活サイトにも謳う名文句ではあるけれど。

 ランチタイム、人でごったがえすB食に、今日も蘇芳はやって来る。今日は同僚の青竹征治と白梅素子も一緒だ。

「コーンちゃん♪ 今日のランチ何?」

 入り口に、サンプルを出しているにも関わらず、吟子の顔を見ると、必ず聞いてくる。

「メインは、タラチリで、アラカルトは……チョコレート、ムース……です」

 そう言って、吟子が逃げるように立ち去ろうとすると、蘇芳が追いかけてきて耳打ちした。

「チョコレート、くれないの?」

 バレンタインデーの特別デザートでつけたチョコレートムースでは足りないという事か。

「それは……後で、また」

 吟子が言うと、蘇芳は安心したように立ち去っていった。
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