沈黙する記憶
この状況から言えば僕らはホテルに入ったばかりか、あるいは帰る支度をしていた所だったのだろう。


そう考えた時、不意に思い出した。


そうだった。


杏は今日僕に話があると言って来たんだ。


誰にも聞かれたくないと言う彼女の要望に応え、ラブホテルという場所を選んだんだ。


ようやくそこまで思い出して、僕は杏を見てほほ笑んだ。


で、彼女は話を終えたのだろうか?


杏は僕のほほ笑みに無表情な瞳を向けるだけだった。


なにか怒っているのだろうか?


といっても、僕は彼女が何の話をしたのか、そもそも話を終えたのかどうかがわからない。


僕は杏の冷たい視線から逃げるように真っ白な布団に視線を落とした。


「杏、座ったら?」


ずっと立っている杏へ向かってそう声をかける。


しかし杏は相変わらずの無表情で室内に突っ立ったままだった。


沈黙が重たく感じられ、背中に汗が流れていくのがわかった。
< 2 / 229 >

この作品をシェア

pagetop